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【亀井 勝一郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:亀井勝一郎の名言格言58選

今回は有名な「亀井 勝一郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「亀井 勝一郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

亀井 勝一郎とは

亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年(明治40年)2月6日 - 1966年(昭和41年)11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員。はじめ左翼的政治運動に参加したが、のち転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論、文明批評で活躍。

1937年(昭和12年)には『人間教育(ゲエテへの一つの試み)』を刊行。同年、武者小路実篤と顔を合わせる。1938年(昭和13年)、『人間教育』が評価され菊池寛より池谷賞を受ける。同年の『日本浪漫派』廃刊後は、『文学界』同人となり、以後同誌に多く連載した。この頃に、太宰治と親密になる。同じ時期に大和路紀行を行い、古代・中世の日本仏教との出会いにより開眼、聖徳太子、親鸞の教義を信仰し、その人間原理に根ざした宗教論、美術論、文明・歴史論、文学論の著作の多くを連載出版した

参考:Wikipedia

亀井 勝一郎の名言集

人生は無限に近い。われわれの知らないどれほど多くの真理が、美が、あるいは人間が隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。

人は何事かをなせば必ず悔恨はつきまとう。そうかといって何事もなさざれば、これまた悔恨となる。

幸福というものはささやかなもので、そのささやかなものを愛する人が、本当の幸福をつかむ。

理想の夫、理想の妻を得ようとするから失望するのだ。凡夫と凡婦が結婚するのである

明日は明日はと言いながら、今日という一日をむだにすごしたら、その人は明日もまた空しくすごすにちがいありません。

死そのものよりも、死についての想像の方が、はるかに我々を恐怖せしむる。

読書の目的は、要するに自分の原点を発見するという事に尽きる。

すべての欠点は長所にむすびついている。

愛情がこもっていて無口な人こそ、人生の伴侶としてふさわしい 

強い精神ほど孤立する。

女性は処女性をもっても、魔性をもっても、男性を征服することは出来ないが、ただ母性をもってのみ征服することが出来る。

未完成の自覚を持って、絶えず努力してゆくところに青春がある。たとい若くても、自己満足におちいっているなら、その人は老人に等しい。

徒党というものは一面からいえば孤独に耐え得ざる精神の休憩所だ。 

恋愛は激しいほど休憩を欲している。恋愛にも日曜日がなければならない。それがかろうじて永続させる方法であり、つまり忘却の逆用である。

人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。

自己に絶望し、人生に絶望したからといって、人生を全面的に否定するのはあまりにも個人的ではないか。人生は無限に深い。我々の知らないどれほど多くの真理が、美が、あるいは人間が、隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。

絶望は人生に必ずつきまとうものだ。絶望しないような人間はある意味でたよりない人だといえる。なぜなら小さな自己に満足し、なんらの努力も考えごともしない人に、絶望は起こりえないからだ

明日とは、実は今日という一日の中にある。

私は年をとるにつれて、幸福の反対を不幸だとは思わなくなった。幸福の反対は怠惰というものではなかろうか。

青年時代に一番大切なことは、いつまでたっても解決できないような途方にくれるような難題を、自己の前に設定することではなかろうか。

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