西暦1700年代の偉人

【山本 常朝】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:山本常朝に関する名言集・格言集

今回は有名な「山本 常朝」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「山本 常朝」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

山本 常朝とは

山本 常朝(やまもと つねとも、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。

享保元年(1716年)9月10日、田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年)10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所は八戸龍雲寺。

参考:Wikipedia

山本 常朝の名言集

さては世が末になり、男の気おとろへ、女同前になり候事と存じ候。口のさきの上手にて物をすまし、少しも骨骨とある事はよけて通り候。若き衆心得有りたき事なり

人間の一生などは、ほんとうに短いものだ。だから好きなことをして暮らすのがよい。つかの間ともいえるこの世において、いやなことばかりして苦労するなんて愚かなことだ。だが、このことは、悪く解釈すると害になるの、若い人たちにはついに教えることのなかった「人生の秘伝」といったものだ。

慈悲より出づる智勇は本ものなり、慈悲の為めに罰し、慈悲の為め働く故に、強く正しきこと限りなし

人生のどんな隅にも、どんなつまらなそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ。

幻(げん)はマボロシと訓(よ)むなり。天竺(てんじく)にては術師の事を幻出師(げんしゅつし)と云ふ。世界は皆からくり人形なり。幻の字を用ひるなり。人生のどんな隅にも、どんなつまらなそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ。

今どきの奉公人を見るに、いかう低い眼の着け所なり。スリの目遣ひの様なり。大かた身のための欲得か、利発だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構えをするばかりなり

人中にて欠伸仕り候事、不嗜なる事にて候

武士道においておくれ取り申すまじき事

大慈悲を起こし人の為になるべき事

少し理屈などを合点したる者は、やがて高慢して、一ふり者と云はれては悦び、我今の世間に合はぬ生れつきなどと云ひて、我が上あらじと思ふは、天罰あるべきなり。

親に孝行仕るべき事

先ずよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を呑む様に 請け合わせ疵直るが意見なり

武士は、仮にも弱気のことを云ふまじ、すまじと、兼々心がくべき事なり

主君の御用に立つべき事

凡そ二つ一つの場合に、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわりて進むなり。

酒に酔ひたる時一向に理屈を言ふべからず。酔いたるときは早く寝たるがよきなり

毎朝、毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常往死身に成っているときは、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。

土は食はねども高楊子、内は犬の皮、外は虎の皮。

大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり

盛衰を以て、人の善悪は沙汰されぬ事なり。

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