西暦1800年代の偉人

【樋口 一葉】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:国立国会図書館

今回は有名な「樋口 一葉」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「樋口 一葉」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

樋口 一葉とは

樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。東京生まれ。戸籍名は「奈津」だが、本人は「夏子」と名乗ることが多かった。中島歌子に和歌や古典文学を、半井桃水(なからい とうすい)に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』といった秀作を発表。文壇から絶賛され、わずか1年半でこれらの作品を送り出した後、24歳6ヶ月で肺結核により夭逝した。没後に発表された『一葉日記』も高い評価を受けている。
参考:Wikipedia

樋口 一葉の名言集

色に迷う人は迷えばいい。情に狂う人は狂えばいい。この世で一歩でも天に近づけば、自然と天が機会を与えてくれるだろう。

母上に安らかな生活を与え、妹に良縁を与えることが出来るなら、私は路傍にも寝ようし乞食にもなろう。

丸うならねば思う事は遂げられまじ。

昨日から家にはお金というものは一銭もない。

これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ

只世にをかしくて、あやしく、のどかに、やはらかに、悲しく、おもしろきものは”恋”とこそ言はめ。

厭(いと)ふ恋こそ恋の奥成けれ

こころにいつはりはなし、はた又、こころはうごくものにあらず、うごくものは情なり。此涙も、此笑みも、心の底よりい出しものならで、情に動かされて情のかたち也。

恋はあさましきものなりけれ。心を尽くし身を尽くしてなりぬべき仲なればこそあらめ、この恋なるまじきものと、我から定めて猶忘れがたく、ぬばたまの夢のうつつ思ひわずらふらんよ。

我は人の世の痛苦と失望をなぐさめんために、生まれ来つる詩のかみの子なり

このよ ほろびざる限り わが詩は ひとのいのちとなりぬべきなり。

このような時代に生れ合わせた者として、何もしないで一生を終えてようのでしょうか。何をなすべきかを考え、その道をひたすら歩んで行くだけです。

彼の人にくゝつらく、哀(あはれ)、潔白の身に無き名おほせて世にしたり顔するなん、にくしともにくし

婦女(をんな)のふむべき道ふまばやとねがへど、そも成難(なりがた)く、さはとて、おの子のおこなふ道まして伺ひしるべきにしもあらずかし。

清いものは常に穢れたものの中から生まれいで、光り輝くものは常に暗闇の中か生まれでる

我家貧困日ましにせまりて、今日は何方より金かり出すべき道もなし。母君は只せまりにせまりて、 我が著作の速かならんことをの給い、いでや、いかに力を尽くすとも、世に買人なき時はいかゞはせん

わかれんと 思ふばかりも 恋しきを いかにかせまし 逢はぬ月日を

是非のめじるしあらざらむ世に、猶(なほ)ただよふ身ぞかし。寄せかえる波は高し、我身はかよはし。

ほり端通り九段の辺、吹かくる雪におもてもむけがたくて、頭巾の上に肩かけすつぽりとかぶりて、折ふし目斗(ばかり)さし出すもをかし。種々の感情むねにせまりて、雪の日という小説一編あまばやの腹稿なる

利欲にはしれる浮よの人、あさましく、厭(いと)はしく、これ故にかく狂へるかと見れば、金銀はほとんどちりあくたの様(よう)にぞ覚えし。

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