西暦1800年代の偉人

【樋口 一葉】の名言集|名言まとめドットコム

恐ろしきは涙の後の女子心なり。

命ある限りはどんな苦しみにも耐え、頑張って学問をしたいと思う。

我れはまことに窮鳥の飛入るべきふところなくして、宇宙の間にさまよふ身に侍(はべ)る。

分けのぼる道はよしかはるとも、終には我も人もひとしかるべし。[解]のぼっていく道のりはたとえ違っても、最後にたどりつくところは、自分も人も同じだろう。

ゑゝ例(いつも)の通りの心根。…何を憎んでそのやうに無情(つれなき)そぶりは見せらるゝ。言ひたい事は此方(こなた)にあるを、余りな人(ああ、またいつものいじわる。どうしてこんな冷たい態度をとるのか、あんまりだ。)

(着物の)縞がらと言ひ色合ひと言ひ、非常に年寄めいて、頭の銀杏返しも余り濃くない地毛ばかりで小さく根下りに結つた上、飾といふものが更にないから大層淋しく見えました

昔の賢人たちは心の誠を第一として現実の人の世に生きる務めを励んできたのです。務めとは行いであり、行いは徳です。徳が積もって人に感動を与え、この感動が一生を貫き、さらには百代にわたり、風雨霜雪も打ち砕くことも出来ず、その一語一句が世のため人のためになるものです。それが滾々として流れ広まり、濁を清に変え、人生の価値判断の基準となるのです。

秋の夕暮ならねど思ふことある身には、見る物聞ものはらわたを絶たぬはなく、ともすれば身をさへあらぬさまにもなさまほしけれど、親はらからなどの上を思い初れば、我が身一ツにてはあらざりけりと思ひもかへしつべし。

みなさまが野辺をそぞろ歩いておいでの時には、蝶にでもなって、お袖のあたりに戯れまつわりましょう。

ほそけれど人の杖とも柱とも思はれにけり筆のいのち毛

(熱望していた小説の師匠との出会いを日記にこう記した)顔色は大変よろしく、おだやかで、少し微笑まれたお顔は、ほんとに三歳の幼児もなつくように思われました。背たけは普通の人よりも高く、肉付きよく肥えていらっしゃるので、ほんとうに見上げる程でした。静かな調子で現代の小説界の様子などを語ってくださる。

たはやすきものはひとの世にして、あなどるまじきも此人のよ成り、其こゑの大いなる時は千里にひゞき、ひくきときは隣だも猶しらざるが如し。

大空もひとつにみえてわたつ海の みずの限りはしられざりけり

信如は今ぞ淋(さび)しう見かへれば、紅入(べにい)り友仙(ゆうぜん)の雨にぬれて、紅葉(もみじ)の形(かた)のうるはしきが我が足ちかく散(ちり)ぼひたる(さびしく振り返った信如の目に映ったのは、雨にぬれた、もみじの模様の赤い友禅染めの布でした。美登利の残した、赤いはぎれ。しかし、信如はかたくなに拾おうとしませんでした。)

わづらってしる病人の味。かく斗(ばかり)いやなものとはしらざりき。

せつなる恋の心は、尊きこと神のごとし。

色いと白く面(おも)ておだやかに少し笑み給へるさま、誠に三歳の童子もなつくべくこそ覚ゆれ

月というつきの光もみえぬかな やみをやみとおもわざる身は

おののきおののきよみ出しに、親君の祈りてやおはしけん、天つ神の恵みや有けん

この世ほろびざる限りわが詩はひとのいのちとなりぬべきなり。

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