引用元:栗城 史多公式サイト
今回は有名な「栗城 史多」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「栗城 史多」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
栗城 史多とは
栗城 史多(くりき のぶかず)は1982年6月9日、北海道瀬棚郡今金町に生まれ。 日本の登山家、起業家。- 2018年5月21日死去。
株式会社たお代表取締役(個人事務所)。北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた。エベレストには、頂上からのインターネット生中継を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。2012年に西稜ルートから4度目の挑戦をするも強風により敗退。この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した矢先の同月21日にキャンプ3から下山中に滑落死した。35歳没。
参考:Wikipedia
栗城 史多の名言集
山で最も大切なのは、「執着しないこと」です。人は目標があればそれに向かって頑張ることができますが、目標に執着し過ぎると周りが見えなくなり、いつの間にか危機的な状況に追い込まれてしまうかもしれません。山では、そうした執着が命取りになります。途中で引き返す勇気というのも必要なのです。
そして僕は、決してあきらめない
夢を持ち、否定されても気にしない。壁がきたときこそが、チャンスなんだ。
登頂の喜びは一瞬だ。下山、失敗、敗北のつらさの方がよっぽど長く続いていく。でも山に負けたとき、自分とどう向き合うのか?そこからの成長にこそ、山登りの本質があるような気がする
どれほど不況と言われていても、やっぱり日本は恵まれた国です。街にはコンビニがあり、百円出せば誰でもおにぎりが買える。それだけ夢が実現しやすい環境が与えられているわけですから、様々なことにチャレンジしなくてはもったいない。
『がんばってください』よりも、『自分もがんばります』がうれしい
できるか、できないかではなく、やりたいか、やりたくないか。
批判されるのはつらい。でも、困難に打ち勝つことこそが、冒険家という仕事の役目です
できるかどうかわからないことに挑むからこそ、達成することに価値を感じられる。
家一軒ほどもあるような氷河の塊が上から転がってくる
もし、エベレスト単独・無酸素登頂という目標が、一度や二度の挑戦で達成できる程度のことなら、最初から目指していなかったでしょう。誰もが半信半疑で見守る難事だからこそやり甲斐を感じるし、絶対に成し遂げようという覚悟を持つことができるんです。
何かに挑戦すると、それを誰か見ている。それで、そこから派生していろいろな人と繋がることもできる
絶対に成功すると思い続けた者だけが成功する。思い続けられれば、それだけで成功者だ。
「変態の人は自分が変態であることを分かっていない」というのはよく言われることだし(笑)
はじめから開かれている道ほど、つまらない道はない。
登頂に成功すると、自分の心にあった壁が壊れた。そして不可能は自分が作り出しているもの、可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくんだということに気づいた
大切なのは師匠や先輩がいることだと思う。そういう人達に自分自身を客観的に見てもらうこと。
人は誰もが冒険し、見えない山を登っている。夢を否定しないで自分の中にあるエベレストに一歩踏み出す人を増やすこと。それが僕の冒険です
少しずつ、小さなことを続けることが大事だ。どんなに苦しいことでも、楽しんでやっていく。そうすると、いつかチャンスがやってくる。
入ってくるものを徹底的に排除して、器に中身を空っぽにすれば、新しいものは自然に入ってくる