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【小島 慶子 】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:講師派遣ナビ

今回は有名な「小島 慶子」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「小島 慶子」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

小島 慶子とは

小島 慶子(こじま けいこ )国籍 日本 生年月日 1972年7月27日
タレント、エッセイスト、ラジオパーソナリティ。元TBSアナウンサー。
父の赴任先のオーストラリアのパースで誕生。3歳の時に日本に帰国し清瀬市の団地で暮らした。幼稚園にあがる少し前に、団地から東京郊外の新興住宅地の一戸建てに引っ越す。その後再び父親の仕事の都合で、7歳の頃はシンガポール、8歳から9歳の頃は中国返還前の香港で暮らした。
小学校3年次に日本に帰国し、日野市立三沢台小学校(現・日野市立七生緑小学校)、学習院女子中・高等科へ進学。15歳のとき過食嘔吐を繰り返し、摂食障害を経験した。これは小島がADHDであることを家族も本人も知らなかったことによる二次障害だったのだが、その事実は40歳過ぎにようやく判明した。学習院大学法学部政治学科卒業。
1995年4月、TBSにアナウンサー30期生として入社
28歳のとき、制作会社・ディレクターと結婚し、30歳で長男を出産し、産休が明けた後、『ニュースフロント』、『時事放談』と主に報道番組を担当する。33歳で次男を出産し、産休が明けた後の2006年10月に、ラジオのレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』が始まり、パーソナリティを務める( - 2009年3月28日)。

参考:Wikipedia

小島 慶子の名言集

人は変化で何かを失うことを恐れるけれど、変化はすでに手の中にあるものの新たな価値に気づくチャンス。

可能性は無限じゃないし、何にでもなれるわけじゃない。だったら、あるもので勝負するしかありません。

誰だって何気ない言葉に救われる瞬間があるし、気づかないうちに自分も他の人の支えになることがあるんです。

経験したことがないから、分からないんだって気がついてよ。なんで聞きかじった育児論で知ったようなことを言うの?体調管理だあ?何もかも思い通りに管理できると思うなよ!

子どもってやつは、めちゃくちゃ可愛いけど、今までに出会ったどんな頑固な上司よりも話が通じなくて、どんなできない部下よりも言うことをきかなくて、きりがない生きものなんだ。逃げ場はない。いいか、子育てはなぁ、道楽じゃねえぞ。

自分のできないことをうまくこなす人間のことを悪者だって言った途端に、世の中って殺伐とする

こんなに乳がなくて、こんなに潮の引いた干潟のような女でも、大丈夫なんだよ、と言いたかった

恋愛は仕事そのもの

非モテじゃなくても、男の子と付き合って別れた人も、別れるときに非承認を得る」

「私のせいで死んじゃったのかもしれない」という後ろめたさとともに、質量を伴った何かが失われていく感覚が身体に残りました。

10代半ばから摂食障害を繰り返したり、30代前半には育児をきっかけに不安障害を発症したりして、「死にたい」と思ったことは何度もあります。

自分自身も過労で倒れて救急車で運ばれたりしてみると、「死というのはそんなに生易しいものじゃねぇぞ」と思い知らされました。

父は延命治療を望んでいなかったので、私が病院に着いた時には、脳の機能が衰弱していくのをただ見守るしかない状況でした。それでも、父の身体は懸命に生命を維持しようとしているんですよ。

父の死によって、命あるものが生きようとする力の凄まじさをまざまざと見て、「死にたいさん」に同調できなくなりました。「いやいや、死ぬってそう簡単なことじゃないよ」と言う自分が出てくるようになったんです。

たまの休日には庭仕事をしたり、ドライブに連れて行ってくれたり、家庭を大事にしようとする気持ちは十分伝わってきましたが、日常の中でゆっくり会話する機会はあまりなかったです。

父と最後に一緒に過ごした12時間で、初めて父の存在を非常に近いところで感じました。懸命に生きようとする父の姿は生命そのもので、ずっとどこか抽象的だった父の存在が、実体を伴ったものとして目の前に現れたんです。

最後の最後に、たまたま二人きりの病室で一緒に過ごせたのは、何かの巡り合わせかもしれません。最後まで生き切った父を誇りに思うとともに、生きることの尊さを見せてくれたことに感謝しています。

最後の最後には、自分がこの世に生まれた土地であり、家族が暮らすオーストラリア・パースに戻りたいです。今のところ、死後は西オーストラリアの海に散骨してもらいたいと希望しています。

移住したきっかけは、夫が会社を辞めたこと。20 年 以上も会社勤めをしてきて、充電したいと言って辞めたのに、 また仕事に戻るのでは意味がないでしょう?せっかく辞めたんだし、どうせなら面白いことをしよう。

私は、“働いてお金を稼ぐ夫と同じように働いてお金を稼ぐ私”に誇りを感じて いたんでしょう。だから、夫が働かず、お金も稼がなくなったとき、私自身をどう誇れば よいのかもわからなくなってしまって。

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