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【ルー大柴】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:carino

今回は有名な「ルー大柴」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「ルー大柴」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

ルー大柴とは

1954年1月14日生まれ、東京都新宿区富久町出身。日本のお笑いタレント、俳優、茶人。本名:大柴 亨(おおしば とおる)。
1989年、関根の主宰する劇団『カンコンキンシアター』の旗揚げに参加し、その独特のキャラクターが脚光を浴びる。
アデランスのCMでの「トゥギャザーしようぜ!!」のキャッチフレーズで一躍有名になる。その当時、大柴は既に35歳で完全に遅咲きだった。
1990年代前半の短期間のブレイク後、しばらくはカンコンキンシアターをはじめとする舞台演劇に活動の重点を置いていたせいもあり、テレビでの出演機会が少なくなり世間の露出度としては「控えめ」の状態が続いた。
2007年初頭頃からは「クド過ぎるブログ」と発言自体が「ルー語」と言われ、以前ならば最も嫌われていた女子高生層の間で話題となり、再びブレイク。「寝耳にウォーター(「寝耳に水」の意味)」「藪からスティック(「藪から棒」の意味)」などのギャグで露出が増加する。

参考:Wikipedia

ルー大柴の名言集

不思議なもので夢を追いかけるのをやめると、今度は夢が追いかけてきました。

人生はラビットとタートル。つまりウサギとカメ。最終的にゴールするのはカメです。ピョンピョン飛び跳ねると必ず息切れします。

物おじせずイエス・ノーをはっきり言う。すると相手の見る目が変わる。言葉が下手でも、意思を示せる人間は尊重されることを知りました。

サーティー・イヤーズ・オールドは、一番つらかった時期だね。人生のどん底といってもいい。同級生は学校を出て就職して安定した生活を送っているのに、俺は売れない役者。芸能界どころか、当時はバイトで食いつなぎながら、アングラ演劇をやっていた。十代のころには海のように広がっていた夢も、いつしかしぼんじゃって。31歳のとき、長男が生まれ、お袋に「諦めろ」って言われたこともあって、ついに夢破れた、と腹をくくった。すると、不思議なもので諦めた途端、運が巡ってきてブレイクした。

ありがたいことに人間は、年齢には関係なく、どんな時でもマイドリームに向かって進むことができます。夢を追いかけるということは、ライフをギブアップしないことです。だから夢を持って生きれば、常に若いということにつながります。マイドリームをギブアップしなければフォーエバーヤング。

楽屋では若い人の会話や交流には、積極的に参加し、コミュニケーションをはかっています。本番前には「何かきっかけがあったら、突っ込んで来いよ。俺は全然大丈夫だからな」と言ってあげます。すると彼らは本気で突っ込んできます。僕も負けずに返していくと、自然に若い力が蘇ってきて心がときめいてくるんです。若い人たちとの積極的なコミュニケーションをぜひお勧めしたい。

外国の人は年をとっても、結構派手な洋服を上手く着こなして、それが実にカッコいいじゃないですか。あの心意気ですよ。「これはインポッシブル」とか「トゥーマッチじゃないか」とか、臆病にならずに、まずはトライすることです。それを続けていけば、いずれは慣れて着こなしていけるようになるんです。

僕は、若い人たちとトゥギャザーしていこうと、常に心がけているんです。そうはいっても僕ももう53歳。いまのお笑い芸人の人たちは、若い方が多いので、僕に対して構えてしまうことが多々あるんです。ですから、楽屋では若い人の会話や交流には、積極的に参加し、コミュニケーションをはかっています。

普段話している言葉をピンポイントで英語に変えていくのは楽しいですね。塵も積もればマウンテンで、オールウェイズ使えばいざというときにパッと出てくる。机にかじりついて単語を覚えるのが辛い、という方にはとてもお勧めです。

現実は甘くはないけれど、自分をビリーブする限り、夢は不滅!

あうんのブレス

合わせるフェイスがない

一寸先はダーク

井の中のフロッグ オーシャンを知らず

エクスペリエンスをしながらグローイングアップしていくのが、僕のフィロソフィーだから

オーライ、ステージは私達がウォームしといたから

親のセブンライト

清水のステージから、ダイブする

コーディネートの幅がまたリトルビット広がりました

スリーデイズ坊主

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