西暦1900年代の偉人

【戸田 城聖】の名言集|名言まとめドットコム

姓名判断や八卦みたいなものは、人生を幸せにするわけがない

御供養とは僧侶へのお世辞ではない

いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて

個人の幸福は、正しい信仰以外にはできないのです

それは二通りに考えられると思いますよ。その一応は学会が発迹顕本の時になっていたのだということ、それからもう一つ二応としては真木先生が御自分の学説に重きを置いた結果、法華経をむしろその手段のように軽く扱ったということ、御書に摧尊入卑という言葉がありまして、その摧尊入卑の罰とか罪とかいう言葉はないが、つまりそれに当るのだと思う。学会の行き方としては価値論から法華経へ、法華経から御本尊へというのでなければならないと思いますね

世間の言葉にとらわれず、信心一途に幸福な生活を

私のこのたびの法華経の難は、法華経の中のつぎのことばで説明します。在々諸仏土常与師倶と申しまして、師匠と弟子とは、代々必ず、法華経の供力によりまして、同じ時に同じに生まれ、ともに法華経の研究をするという、何十億万年前からの規定を実行しただけでございます。

むかしから、僧俗一致ということが、我が宗内では叫ばれている。ところが、僧俗一致していたような寺はなかった

私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなくて、私の師匠の時には牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりして、過去も将来も離れない仲なのです。こんなことを言いますと、兄貴は夢のようなことを言っている、法華経にこりかたまっていると一笑に付するでしょう。

大事なことだよ。人間は、自分たちが地上の支配者であるかのように思い上がり、自然を破壊していけ ば、大変なことになる。自然を守ることが、人間を守ることにもなる

しかし、哲学的に電気化学の原理、電子論に原子論に研究を加えれば、加えるほど、生命の永久を確心しなくてはならないのであります。K雄さん、人の一生は、この世きりではありません。また親子、兄弟、夫婦、主従、子弟の因縁ではありません。その中の子弟の因縁の法華経原理を身をもって読むといいまして、自分の身に体験し体現したのが、私の事件です。深遠な教理と、甚深な信仰と、熱烈な東洋愛、燃えた私の心境をつかんでまいりました。(昭和二十年九月)

学会の誇るべきものは教学である

日本の癌(がん)になる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!勿論、巌(がん=戸田氏自身のこと)の全財産は、この運動に提供する

来るであろう多難を賢明に乗り越えるためには、学会が、あくまでも和合僧の集団であることが必要である。真の団結は、鉄の規律などで維持されるはずはない。遙(はる)かな遠征の旅路を、仲よく共々に励まし合いながら、一人の落後者をも出さずに征き、元気に目的地に達することこそ肝要であるはずだ

牧田城三郎先生(牧口常三郎氏のこと)は国家諌暁(かんぎょう)を思い立たれ、自分は学会幹部を集めて、救国の一大折伏戦や、支那大陸への潜行運動などを展開しようとしたが、それは飽くまでも、日本を負けさせたくないからであって

(牧口先生の三回忌法要の席上)あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土・常与師倶生』 と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で,地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながら身読することができました。なんたる幸せでございましょうか

戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念は、当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。初代会長は勝つといっていた。(学会の)教線が伸びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その結びつきは考えた

日蓮大聖人様が国立戒壇を作らにゃあならんとこう仰せられた。それを今実行しようとしているだけなんだ。何も政権なんかに関係ないよこっちは

妙法の広布の旅は遠けれど ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ

御本尊は幸福製造機である

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