西暦1900年代の偉人

【ウィトゲンシュタイン】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Yahoo!ニュース

今回は有名な「ウィトゲンシュタイン」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「ウィトゲンシュタイン」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

ウィトゲンシュタインとは

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 - 1951年4月29日)は、オーストリア・ウィーン出身の哲学者である。のちイギリス・ケンブリッジ大学教授となり、イギリス国籍を得た。以後の言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。

ケンブリッジ大学・トリニティ・カレッジのバートランド・ラッセルのもとで哲学を学ぶが、第一次世界大戦後に発表された初期の著作『論理哲学論考』に哲学の完成をみて哲学の世界から距離を置く。その後、オーストリアに戻り小学校教師となるが、生徒を虐待したとされて辞職。トリニティ・カレッジに復学してふたたび哲学の世界に身を置くこととなる。ウィトゲンシュタインの哲学は、初期と後期が分けられ、異なる視点から考察されることも多い。

参考:Wikipedia

ウィトゲンシュタインの名言集

答えが言い表し得ないなら、問いを言い表し得ない。問いが言い表し得るのならば、答えも言い表し得よう

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

梯子を登り終えたら、その梯子を投げ捨ててもらわねばならない

お前の哲学の目的は何か? それはハエにハエ取り器から脱出する出口を示してやることだ

言えることははっきり言えるものだ。はっきり言えないことは、沈黙していればいい

世界の価値は、世界の外側になければならない

内心や胸の奥の気持ちといったものがそれほど重要なのだろうか。その人の表情や態度に表れているものよりも、本当に重要だと考えていいのだろうか

私たちはいつも直線的に物事を考える癖がある。世界がこれからどうなるかということを考えてみるときですら、いまの世界の動きがさらに進展していくという前提で未来の予想を立ててしまうのだ。いまの世界の動きから突如にして変貌していくとか、その都度世界が変化を続けていくといったふうに考えたりしないものだ。しかし、実際の世界はそういうふうに動いているのではないか

『明日の朝がやって来る』というのは、単なる予想にすぎない

正しかったり誤っていたりするのは、人間が言うことである。そして人間は言語において一致する。それは意見の一致ではなく、生活形式の一致である

自明なのは、気軽な関係というものは、何らかの関係では絶対にない、ということである。

わたしたちの最大の愚かさは、きわめて賢明なものである場合がある

風が吹いてきて、木を揺さぶる。風は大木をも揺さぶる。わたしたちもそんな木々のようなものだ。つまらない考えに、くだらない考えに、どうしようもない思いに、心を揺さぶられている

愛されると嬉しい。愛されないと淋しい。愛されなくても、愛することができれば満たされる。愛が欲しくて見つめる。少しでも愛が感じられれば、胸が暖かくなる。愛するものがあれば夢中になれる。そういう愛の代わりになるものはこの世に何もない。幸福と呼ばれるものの中には必ず愛が含まれている。いや、愛こそが幸福そのものなのだ

良心とは認識の生が保証する幸福のことだ。認識の生とは、世の中の苦しみにもかかわらず幸福であるような生のことだ。世の中の楽しみを断念しうる生のみが幸福なのだ。世の中の楽しみは、この生にとって、たかだか運命の恵みにすぎない

哲学の仕事の本質は解明することにある。哲学の成果は『哲学的命題』ではない諸命題の明確化である

人として弱いということは、生きていくうえで受けるべき苦しみを自分で受けとろうとしないことだ

私があたえることのできそうな影響はといえば、なによりもまず、私に刺激されて、じつにたくさんのガラクタが書かれ、もしかしたらそのガラクタが刺激となって、いいものが生まれることかもしれない。いつも私に許されている希望は、このうえなく間接的な影響をあたえることだけなのだろう

善悪は、主体によってはじめて成立する。そして、主体は世界に属さない。それは世界の限界なのである

少なからぬ人々は、他人からほめられようと思っている。人から感心されたいと思っている。さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、尊敬すべき人間だと見られたがっている。それはちがうのではないか。人々から愛されるように生きるべきではないのだろうか

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