西暦1900年代の偉人

【江崎利一】の名言集|名言まとめドットコム

私には遊ぶ道楽がない。正直に言って、若いときから遊ぶほどの金も暇もなく、したがって、もっぱら商売を道楽と考えてきた。

私自身まことに良い環境に置かれたもので、小さいときから「働く習慣」が知らず知らずのうちに我がものとなって、少しもそれが億劫でなくなった。私は学校教育の機会には恵まれなかったが、この勤労教育には大いに恵まれた。ここに、あれこれ仕事を命じた父の本意と慈愛があったものと、私はありがたく感謝している。

商売とは、まことに難しく、そして不思議なものだ。どんな小さなところに発展の鍵が潜んでいるかわからない。大切なのは、それをどう見つけ出し、どう生かすかということだろう。

学問に実地が伴えば、鬼に金棒であるが、実地に学問が伴えば、それこそ鬼に金棒以上のものであろう

よく考えてみると、健康な人間が病気予防の栄養剤など買うだろうか。買わないとすれば、どうすればいいか。そうだ、嗜好品として売るのだ。菓子の中にグリコーゲンを入れるのだ、という考えがついに固まったのである。

私は佐賀にいるころ、自宅から一町ほど離れた八坂神社に出かけては、いつも考えに耽っていた。社殿の裏は、こんもりとした森である。森の緑に頭を休めながら、いろいろとマークやスローガンを考えた。

厘毛の利も逃さない万端の用意「商売の戦い、商戦での成功法とは、何よりも損をしない備えである。厘毛のマイナスもカバーしつくして、厘毛の利も逃さないという万端の用意である。これならどんな長期戦でも対応することができる」

オモチャ屋と冷やかされ、グリコはオマケで売れたという人もある。しかし、本当はグリコのオマケを生み出すほどの創意工夫こそ、グリコ発展の原動力であったと私は言いたい。

私の実業家としての使命は、学者や専門家によって研究された食料や新栄養源を、国民の体位向上のためにすみやかに企業化し、社会に多くの価値を提供することだと信じている。

カニのように、横にはってでも前進せよ。

販売の秘訣といっても別にこれということはないが、製品に特徴を持たすこと。そしてその特徴を徹底的に宣伝することである。いずれにせよ多年にわたって売り込んだ商品名、またそれに伴う良心的な経営は、何業によらず、大小のいかんを問わず、その事業を永遠のものにするものである。

健康は人生最大の資産であり、資本である。病気は時としてさけられないが、たとえ虫歯1本でも、早期発見、早期治療が何よりも肝要である。

事業奉仕即幸福。事業を道楽化し、死ぬまで働き続け、学び続け、息が切れたら事業の墓場に眠る。

私は栄養菓子グリコを売りたかった。牡蠣からとれたグリコーゲン、息子の病気を救った牡蠣エキス、これを国民の健康に役立てようというのが私の念願だった。だから、私一人になってもやるという心に嘘偽りはなかった。

生産能力の2倍、3倍にも達する注文が来るようになり、どうしても拡張が必要になった。しかし、商売はよく拡張で失敗する。形の上で大きくなったことに気を許して、万事にぬかりがちになるからだ。同時に、失敗と気づいたとき、精一杯の資金を使ってしまって、手元に必要な予備資金を持たないことが多い。資金計画は努めて綿密にした。

働くということは人生におけるすべての基本である。働かずに食う法、働かずに金を儲ける法、働かずに出世する法があろうはずがない。だから、少しでも早くこの「働き」の習慣を身につけるのがその人の一生の大きな幸せといえる。

私は商売一筋に80余年を生きてきた。商売に生きるということは、私の場合、創業以来の「食品による国民体位の向上」というモットーをいかにして実現するかということに尽きる。

グリコはオマケではなく、オマケを生み出すほどの創意工夫によって売れた

死んだ気でやればできないことはない。死ぬことぐらいは、いつでもできる。必死では生ぬるい、決死で行け

健康な人は必ず明るい人生観を持ち、事実を事実として常に正しく見る。そして自己をも、他をもあざむかない。

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