西暦1900年代の偉人

【江崎利一】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:西日本新聞me

今回は有名な「江崎利一」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「江崎利一」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

江崎利一とは

江崎 利一(えざき りいち、1882年(明治15年)12月23日 - 1980年(昭和55年)2月2日)は日本の実業家。江崎グリコの創業者。現・社長江崎勝久とその弟の江崎正道の祖父。

佐賀の筑後川河口にある、戸ヶ里漁港で水揚げされた牡蠣(カキ)に含まれるグリコーゲンから「グリコーゲンの事業化」を思いつき、アメの中に牡蠣エキスからとったグリコーゲンを入れた試作品をつぎつぎと作るようになった。

参考:Wikipedia

江崎利一の名言集

面倒な仕事だとか、これは出来ないとか、簡単に諦めず、工夫に工夫を重ね、粘り強く取り組むことだ。面倒の中にこそ、商売のチャンスが隠されている

私はアタマとマナコの働かせ方次第で、商売というものの妙味がいかに無尽であるかをつくづくと感じさせられた。それからというものは、目、耳、頭、手足を油断なく働かせるようになり、周囲のものごとに対して一層注意力、観察力を傾けた。

儲けようと思ってやる商売にはおのずと限度がある。あくまで社会の要求に沿うような、奉仕の精神で打ち込めば、必ずその事業は大成するに違いない

慌てるな!命がけの問題は宿題を解くような平静な気分でやれ

父の考えでは、人間は人の世話になると一生頭があがらない。世話にならずに済めばそれに越したことはない。無理をして学校に進まなくても、働き次第、努力次第で学校出に負けない立派な商人になることができる。それが我が家のためであり、また子供自身のためでもあると考えたようだ。

そのころ、キャラメル類の包装は、いずれも森永を真似て黄色のものが通り相場になっていた。しかし、私はマネを嫌って、一番目を引きやすく、しかも食欲を刺激するものを考え、あちこち並べ替えたりして、視覚効果の実験を行った。そしてグリコは赤箱と決めたのである。

グリコを始めたのは40歳を過ぎてからである。したがって、少年時代も青年時代も田舎で過ごし、学問は全くの独学である。もともと菓子のことなどはズブの素人であったが、実地に臨んで現実と取り組み、努力し、工夫しながら一歩一歩を歩んできた。

商売は儲けたり儲けさせたりの仕事である。売ったり買ったり、便宜をはかったりはかってもらったり、儲けさせたりの相互利益こそ、商売の真髄であり、要諦であろう。

最近冗談に、もしかすると本当に100歳まで生きるかもしれないと思ってみたりしている。そうなれば「雀百まで踊り忘れず」のことわざの通り、生命ある限り商売修行を続けていきたいものである。

私は商売における広告の効果と重要性を十分認めていたので、その後、どんなに資本が乏しく、また金繰りに苦しんだときでも、広告だけは続けて出した。もともと私は広告は人を動かす術であると考え、郷里にいるころから気合術、催眠術などの本をわざわざ東京から取り寄せて勉強していた。いまでいう心理学、販売活法といったものである。

アタマは使うが、心痛はしない。

戦災でも焼けなかった資本がある。それはグリコという看板である。過去30年間営々として築き上げてきたわれわれ最大の資本である。

健康法に奇策はない

専門家の不可能というものを、可能にしてみせようと張り切った。

健康も事業も、じつは精神の持ち方次第である。これは一見平凡なことのようだが、じつは非常に大事なことである。日露戦争で野戦病院勤務だったとき、瀕死の重傷を負った兵士でも、強く励ましたり気を引き立たせたりすると、不思議なほど手術は上手く運び、何人も生命が助かるのを経験したことがある。

健康はこれを失ってから、その価値を発見するといわれている。健康なときには、かえって健康の有難さはよくわからない。

下から石を一つずつ積み上げて山頂に達するより、山頂から石を転がした方が早い。

先行者の失敗は不可能を物語っているのだろうか。いや、むしろ限られた可能性があって、それを発見し、徹底的に研究していけば間違いあるまい。彼らはなぜ失敗したのか。私はその辺をよく考えた。

「夢は大きく、暮らしは地味に」これは私の処世訓でもある。

グリコのスローガンにも頭を悩ました。「簡単で」「力強く」「覚えやすく」「興味の持てるもの」。しかも、日本で初めての栄養菓子の性格を十分表したものでなければならない。

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