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【江戸川 乱歩】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:春陽堂書店ネットショップ

今回は有名な「江戸川 乱歩」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「江戸川 乱歩」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

江戸川 乱歩とは

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、1894年〈明治27年〉10月21日 - 1965年〈昭和40年〉7月28日)は、日本の小説家、推理作家。本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。

大正から昭和期にかけて活躍し、主に推理小説を得意とした。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。1923年(大正12年)、森下雨村、小酒井不木に激賞され、『新青年』に掲載された『二銭銅貨』でデビューする。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志す一方で『心理試験』『赤い部屋』といった変格とみなせるような作品も書き、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。また、海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』、『三角館の恐怖』、『幽鬼の塔』などを残している。このほか、探偵小説に関する評論(『幻影城』など)を残している。

ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。

参考:Wikipedia

江戸川 乱歩の名言集

昼は夢 夜ぞうつつ。

恋愛ばかりでなく、すべての物の考え方が誰とも一致しなかった。

周囲の子供たちと、物の考え方も好き嫌いも、まるで違っているので、いつもハチブにされているような気がしていた

「なぜ神は人間を作ったか」というレジスタンスの方が、戦争や平和や左翼よりも百倍も根本的で、百倍も強烈だ。

これは大人になっても同じことで、社会と交わって行くためには、私は本当の自分を隠して、仮面をかぶって暮らすほかなかった

結局、妥協したのである。もともと生きるとは妥協することである。

学校は地獄であった。そのために、私は社会生活を嫌悪し、独りぼっちで物を考える癖が、ますます嵩じて行った。

私が探偵小説を書きはじめるころまでは、大衆文芸という言葉はなかった

探偵小説界に一人の芭蕉出でよ。

郷田三郎さん…君は正気を保たなくてはいけませんよ 犯罪と云う怪物を相手にする時は自らが怪物と化さぬよう気をつけねばならない 闇を覗こうとする時闇もまた君を見ていると云う事を心に留めておきたまえ。

孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、自殺するほどの強い情熱もなく、結局偽善的に世間と交わって行くほかはなかった。

中学一年生のころだったと思う。憂鬱症みたいな病気に罹って、二階の一間にとじこもっていた。暗い中で天体のことなどを考えていた。

子供ごころにかえって、大いに活発に防空訓練をやっているのが、町会長の目にとまったらしい。

病床ほど孤独の楽しみを教えるものはない。氷嚢、体温計、苦いけれど甘い水薬、熱病の夢、即興詩、石盤石筆と、紙と筆と、そして絵と、絵文字と、この豊富な魅力が彼を病床に、引いては病気そのものに惹きつけた。強いて病気になろうとする気持さえ芽生えてきた。

推理の興味を充分満足させながら、リアルな小説を書くということです。それが理想です。長編の『点と線』などは、その理想に近づいている。ぼくがあなた(松本清張)の出現を画期的といったのはその意味ですよ

たとえ、どんなすばらしいものにでも二度とこの世に生れ替って来るのはごめんです。

男というものは、少々陰険に見えても、根性はあくまでもお人よしにできているものだ。そして、女というものは、表面何も知らないねんねえのようであっても、心の底には生まれつきの陰険が巣くっているものだ

会話を好まず、独りで物を考える、よくいえば思索癖、悪くいえば妄想癖が、幼年時代からあり、大人になっても、それがなおらなかった。

戦前の人嫌いが、戦後人好きになり、いろいろな会合に進んで出るようになったのは、一つは隣組や町会で人に慣れたのと、もう一つは戦争中多少酒が飲めるようになったせいである

二、三歳のころは、ひどくおしゃべりで、物真似などが上手だったそうだが、物心つくにしたがって、あまりしゃべらなくなり、独りで何か空想して、夕方など町を歩きながら、声に出してその空想を独白するくせがあった。

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