引用元:Koratai
今回は有名な「坂口 安吾」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「坂口 安吾」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
坂口 安吾とは
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年〈明治39年〉10月20日 - 1955年〈昭和30年〉2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。
文学においての新人賞である芥川龍之介賞の選考委員を第21回から第31回の間務め松本清張、辻亮一、五味康祐などの作家を推した。歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、推理小説では『不連続殺人事件』が注目された。その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている。
参考:Wikipedia
坂口 安吾の名言集
時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大げさな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、生まれてから、死ぬまでの間です。
恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う
人はなんでも平和を愛せばいいと思うなら大間違い、平和、平静、平安、私は然し、そんなものは好きではない。不安、苦しみ、悲しみ、そういうものの方が私は好きだ
人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり、脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間の尊さは、自分を苦しめるところにあるのさ。
私は悪人です、と言うのは、私は善人です、と言うことよりもずるい。
親がなくとも、子が育つ、ウソです。親があっても、子が育つんだ。
技術は理窟では習得しがたく、又律しがたいものである
私は、ねむるようにして、いつでも死ねる。ねむることと、死ぬこととが、もう実際にケジメが見えなくなってしまった
絶望は、愚か者の結論である。
写実よりは実物の方が本物だからである。単なる写実は実物の前では意味を成さない。
物資の秩序をハッキリさせることを知らない人は、所詮不明朗不健全で、本当の精神の価値を知らないのである
個人の自由がなければ、人生はゼロに等しい。何事も、人に押し付けてはならないのだ。
悲しいかな、人間の実相はここにある。然り、実に悲しいかな、人間の実相はここにある
親というものは、子供は案外シッカリしているということを銘記する必要がある
苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然の生活なのだから。
他の発見のないところに真実の文化が有りうべき筈はない。自我の省察のないところに文化の有りうべき筈はない
女の人は秘密が多い。男が何の秘密も意識せず過ごしている同じ生活の中に、女の人は色々の微妙な秘密を見つけ出して生活しているものである
美しいもの、楽しいことを愛するのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくって大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であって、毫も軽蔑すべきところはない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外に、人間を救う便利な近道はない。