西暦1900年代の偉人

【大隈重信】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:佐賀市観光協会

今回は有名な「大隈重信」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「大隈重信」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

大隈重信とは

大隈 重信(おおくま しげのぶ、1838年3月11日〈和暦:天保9年2月16日〉- 1922年〈大正11年〉1月10日)は、日本の政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵。菅原姓。

参議、大蔵卿、内閣総理大臣(第8・17代)、外務大臣(第3・4・10・13・28代)、農商務大臣(第11代)内務大臣(第30・32代)、枢密顧問官、貴族院議員。報知新聞経営者(社主)。

参考:Wikipedia

大隈重信の名言集

幾多の失敗を重ねたが、しかし恐縮はせぬ。失敗はわが師なり、失敗はわが大なる進歩の一部なり。

枝葉を切っても木は蘇らない。根元を掘って自然の力、太陽光を根にあてて水を注げば、木は蘇生する。

道が窮まったかのようで他に道があるのは世の常である。時のある限り、人のある限り、道が窮まるという理由はないのである。

人間は希望によって生活している。希望そのものは人間の命である

私はずっと若者だ

我輩の一世一代の失策

爆裂弾を放りつけた者を憎い奴とは少しも思っていない。いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。

過去を顧みるな

世の中には往々おうおう泣き言を述べる青年達がある。彼等はちょうど誰かがその前途を圧おさえているために自分が成功出来ないように言っているが、それは誤った考えである。ことさらに敵意でも持っていない限りどこに他人の成功を妨げるものがあろう

二人は酔っておるから、こんな事になったのだ、そこで我輩は岩倉に向かい「それは面白い、早速辞表をお書きなさい、不肖ながらこの大隈が、陛下へお取次ぎを致そうと切り出すと、燗番をしていた山尾が、驚いて飛んで来て、マアマアと双方をなだめたことが有る、其の頃から酒も気力も我輩が一番強かった

華厳の滝に飛び込む弱虫よりは、よっぽどエライ者と思うておる

望(のぞみ)を将来に置け

(西郷について)人情には極めて篤かった

人間が生きるのは、社会の利益のために存在するということだ。ただ生きてるのではつまらない。

何時でもいよいよ失敗すればいよいよ奮闘努力を続行する。而しかしてこういう場合に更に新しい元気を得るには、どうかして我輩の一生を最も有益に送りたいという希望のあるためである。

最愚者の為す所が最賢者の頭脳を支配することもある。世に無価値な人間があるべき理はない。

我が輩は、爆弾くらいで青くなるような腰抜けじゃない。そんなもの屁とも思っていない。

人のために善をなせ

君が大いに尽力せよ、僕はすぐれた君に従って事を成し遂げるため、一緒に死ぬまで尽力しよう

政治は、学問や科学ではない。術である。人の心を知るという術なのです。 人の心を察する ーこう言うと悪くすると陰険らしくも聞こえるがそうではない。他人の苦は自己の苦しみであるという、ここの道場から多数の幸福が得られてよい政治が生まれるのです。

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