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【桂 歌丸】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:オフィスまめかな

今回は有名な「桂 歌丸」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「桂 歌丸」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

桂 歌丸とは

1936年〈昭和11年〉8月14日生まれ - 2018年 〈平成30年〉7月2日死去)は、日本の落語家。神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)出身。
1951年(昭和26年)11月 - 5代目古今亭今輔に入門。兄弟子・4代目桂米丸の前名・古今亭今児を名乗る。
1964年(昭和39年)1月 - 桂歌丸に改名。
1966年(昭和41年)5月 - 日本テレビ『笑点』の大喜利メンバーとして出演(1969年4月から11月までを除く)。
2004年(平成16年)2月 - 10代目桂文治の後任で落語芸術協会5代目会長就任。
2006年(平成18年)5月 - 5代目三遊亭圓楽の降板に伴い、『笑点』の5代目司会者就任。また、初の自伝『極上歌丸ばなし』を出版。
2016年(平成28年)4月30日 - 「体力の限界」を理由に笑点の司会を引退することを発表。同年5月22日放送の「笑点 歌丸ラスト大喜利スペシャル」を最後に勇退。同年5月25日には文化庁より文部科学大臣表彰されることを発表。
2018年(平成30年)7月2日 - 11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去。

参考:Wikipedia

桂 歌丸の名言集

修業は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。

人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや。

どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。人の話を理解しようと努めれば、自分にない人の性質や発言の真意を想像するでしょう。ひいては聞き上手が話し上手になるんです。

その道が広くなるか狭くなるか。平らな道かデコボコ道か。それは自分の歩き方次第。ことによると、途中で土砂崩れにあうかもしれません。でも、わたしにはこの道しかないんです。

ニ十歳を過ぎた人間にモノを教えることは何もない。ニ十歳を過ぎた人間は大人だ。ニ十歳を過ぎたら自分で気づくよりほかない。

褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え。

若い時に苦労をしろ。何年か先に振り替えった時、その苦労を笑い話にできるように努力するんだ。

ある種、いい加減にやることは必要。いい加減は「良い加減」ですからね。

ブームっていうのは必ず落ちる時がきますからね。ブームの時に責任を持たなきゃいけないのは、我々噺家です。上がっていくときは簡単ですが、落ちかけた時いかに長く水平に保ち続けられるか。落語を残すのも噺家の責任、落語のお客様を残すのも噺家の責任なんです。

薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに「芸は人なり」なんです。

とにかく陽気な噺でお客さんを笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると、不思議と受けるんですね。

いろんな人に言われます。70を過ぎてまで、どうして苦労して新しい噺を覚えるのかって。そりゃあ覚えも悪くなっていくし、挑戦し続けるのはしんどい。でも、最期に目をつむった時に楽な気持ちでありたいんです。「ああ、あの噺もできたのに」なんて後悔しても遅いでしょ。

私たち落語家は、噺でお客さんに楽しんでもらう商売です。肝心なのは、お客さんの頭の中に情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて届けたい。

まだまだ覚えたい話もあるし、落語を引退する気はない。80歳になったらもっと勉強を始めようと思う。笑点のメンバーが上納金をくれるみたいだしね(笑)

苦労を笑い話にできるまで努力する

背負った苦労を、一度フィルターにかけて、陽気な笑い話に変える。これが噺家の仕事です。

苦労しっぱなしだと芸に苦労が染み込んでしまうだから笑い話になるくらいまで苦労を突き破り乗り越えろ、というわけ

ちなみに、健康の秘訣は「毎日梅干を10個食べること」だそうです。これからも、その素敵な言葉で多くの人に笑顔を与えてくれることでしょう。

私が古典が大事だと思うのはね、その噺のなかに、今も通じる義理人情の道理ってのが必ず込められているからです。

しゃべり上手は聞き上手幾つになっても若手に学ぼうとする心意気と情熱を持ち続けることが大事

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