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【柴田勝家】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:柴田勝家の解説

今回は有名な「柴田勝家」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「柴田勝家」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

柴田勝家とは

柴田 勝家(しばた かついえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い天下統一事業に貢献した。

大永2年(1522年)、『張州府誌』によると尾張国愛知郡上社村(現:愛知県名古屋市名東区)で生まれる[注釈 3]。生年には大永6年(1526年)説や大永7年(1527年)説もあり、明確ではない。出自は不明で柴田勝義の子といわれるが、確実な資料はない。おそらく土豪階層の家の出身であると思われる[4]。

参考:Wikipedia

柴田勝家の名言集

秀吉と仲がよいのだから必ず降るように。私のことを思って再び道を誤ってはならない

君が代を祈ると見えて神垣に空よりかくる雪の白木綿

だから私は先に辞退したのです。先陣の大将たる者にはそれほどの権威を持たせて下さらねば務まるものではございませぬ

城の水、わずかにこればかりなり。兵士の渇死は疑いない。いまだ力の疲れを知らないうちに必死の戦いをしようではないか。

修理の腹の切り様を見て後学にせよ

水は土に還ったぞ 我らも土に 還るまでじゃ

我々が生き残る道は打って出て六角軍を蹴散らす以外なし!

予が逃げて北ノ庄城に入ったことは戦いの運で、予が憶病だからではないが、敵にわが首を斬られ、予と汝等の妻及び親戚が侮辱を受けることは、わが柴田の名と家の永久の不名誉である。よって直ちにわが腹を切り、敵に発見されざるため、わが体を焼かしめるであろう

今、上方で明智光秀や菅屋九右衛門などという者が出世して諸事に口出ししていると聞くが、自分は信長に仕えて今に至るまで、戦功およそ二十四度に及ぶから、誰々が出世したといっても心許ないことだ

夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす

まとめ

今回は「柴田勝家」の名言・名セリフ集をご紹介しました。

お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。

「柴田勝家」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。

ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。

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