本業に関係ないことにどれくらい時間を割いているかを大切に考えています。
私はあの人が大好き。愛した記憶だけで一生幸せよ
世の中に不必要な人間など一人もいません。それを不必要だと言うのは己のわがままだ。
高校時代、僕は三島由紀夫や川端康成の小説を書き写していたけど、それも作家になるための“修業”にされてしまった。違う。僕はただ単に楽しくて書き写していたんです。読むと面白い小説が、書き写してみるともっと面白かった。文章の細かなところがわかって、発見の連続だった
才能を信じなければ、本当の努力はできない。でも、過信してしまったら努力はできない
人生が果たして運か努力かはともかくとして執念がけっこうものを言うのは確かなようです。
国民が教育の中で得た知識の中で、「戦前」と「戦後」の歴史が地続きにつながっていない。歴史の一部がきれいに欠落してしまっているのです。
だから、計画を立てるときは、何より最悪の場合を考えて立てる必要があるということです。その意味では、旅に似ているかもしれない
簡単なことを難しく述べるのは簡単だが、難しいことを簡単に言うのは難しい。
どんなに才能のある人間でも、ひとつのことをやってきた人間には敵わない。多芸多才だと思っている者ほど、目移りがしていろんなことをやりたがる。でも、それがものになった試しはないんだよ。才能って不思議なものでね、ひとつのことをできるヤツは、実はいくつものこ とができるように作られてるの。
傷つくことを恐れないことです。いまの若い人は、本当に従順。僕が若いときは、納得がいかなければ言い返したものです。ところが、いまの若い人は言い返すこともしない。むしろ、すぐに傷ついてしまう
みんなから馬鹿扱いされてもだからといって、自分の信念をあきらめてはいけない。
夢の実現は夢の喪失であるということを、忘れてはならないと思う
作家になるまで苦労していた”という捏造の物語に僕が怒るのは、世の中をナメた考え方だと思うからです。僕は苦労なんてしていない。本当の苦労というのは、人間を押しつぶすほどのものです。意志の強い人間でも押しつぶしてしまう。それが食べていく苦労というものなんです
向き不向きなんて考えない方がいい。そんなのわかりっこないもの。
いまは仕事を選んだうえで、共働きが当然という風潮だが、男なら「女房、子供は俺が食わせる」という気概をもっていてほしい。いまの植物性の若い連中にはそれが感じられないのが情けない。
先ほど清朝末期がドラマチックでロマンチックだと言いましたが、それらの要素は小説を書くうえでも必須のものですね。小説とは、ドラマチックなおもしろさがなければならないし、ロマンチックなほど美しくあるべきだと、僕は常に思っています。
ベッドで寝た記憶がほとんどない。24時間机に向かって、寝るときは座椅子をうしろに倒しただけっていうのが何ヶ月も続いたような、そんな印象があります。
不景気でじたばたするのは、甘やかされて育った人間だ。「職がない」などと悲観的な論調が強いが、自分勝手な思い込みであることも多いのではないか。
(直木賞の場合は一生“直木賞作家”と呼ばれるため)作家の人生の中では重たいもの。その人の作家人生を決めるという緊張感が選考会場にはある