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【浅田 次郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:紀伊國屋書店

今回は有名な「浅田 次郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「浅田 次郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

浅田 次郎とは

中央大学杉並高等学校卒業。陸上自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。時代小説の他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 2011年 - 2017年日本ペンクラブ会長。

400字詰めの原稿用紙に万年筆で、おびただしい種類の辞書に囲まれた書斎で文机にあぐらというスタイルで執筆する。常に複数の連載を掛け持ちし、その合間に短編小説やエッセイの依頼も受け、ワーカホリックな一面もあるが、急病も含め、いまだに連載原稿を落としたことがない。

参考:Wikipedia

浅田 次郎の名言集

2度目の(大学)受験に失敗し、食いつめて自衛官になった

もう落ちるところまでおちたよ。いえ、苦労ってものは、そう思ってからが長いんです。経験上。

ほぼ競馬場に皆勤賞

おもしろくないことはやらなくていい。そんなものは人生でマイナスでしかない。

僕はいちばん好きなことを好きなようにやってきたんです。ところが、自分で言ってもいないことが独り歩きするようになりましてね。職を転々としたとか、1日2、3時間しか眠らずに投稿のための作品を書いていたとか。メディアは苦心惨憺な末に、ようやく作家になったという英雄像をつくりたかったのかもしれない

何も戦に限らず、人生なんてそんなものかもしれません。倒れていたらとどめを刺されるんです。死にたくなかったら、立ち上がって前に出るしかない

人間は、用事がなくなったら死ぬものだ。生きているからには、生きねばならぬ理由がある。

人としてこの世に生まれ、一度こころざしを立てたならば、生まれた家の貴賎、富貴には全く関係なく、情熱を持ち続ければ、成し遂げられないことはない。

新人賞を30回も落ちたのは、何かの間違いだと、今でも信じているからだ

(自称)小説の大衆食堂

苦しい苦しいばっかりでは、長く続くわけがないもの、人間は。好きだからこそ、楽しいからこそ、長くやっていけるんです。僕だって、小説が本当に好きだったからこそ、デビュー前に40歳まで書き続けることができたし、いまも書き続けている

この仕事には気合いが入る、一行も疎かにしてはならないと思う

書くのは最大の道楽

誰が何と言おうと、人間は不幸の分だけ、幸福になる権利がある。

自分にはそもそも、後世に残るような作品を生み出す資質が与えられていない。この大前提を踏まえたうえで、「では、自分の作品をどのようにつくっていけばいいのか」。これが生涯にわたっての僕のテーマだと考えています。

自分が苦労した人は、他人の苦労も分かってあげる事が出来る、自分が努力したからこそ、他人の努力の尊さが分かるのである

いまやっていることの結果が、明日出ることはない。細かい努力の積み重ね、日々の充実の積み重ねによって、それは得られる。少なくとも何年もかかる話なんだから

コロナ禍について言えば、国や自治体に申請すれば、ある程度の援助を受けることも可能です。手続きはいろいろ面倒くさそうだけど…。でも、これがもし戦争中であれば、国や自治体が国民一人ひとりを支援するなんて考えられない話。それどころか、いきなり命を取られることさえあるわけです。今、ご苦労を経験されている人も、「命を取られるわけではないんだ」と、冷静に対処してほしいと思います。

(第156回直木賞を受賞した『蜜蜂と遠雷』恩田陸[著](幻冬舎)について)音楽という言葉や字では本当はあらわすことのできないものを、果敢に挑戦し小説にしたというところに良い評価があがりました

だから心がけてほしいのは、選んだ仕事を好きになってみることです。好きになれそうな仕事を選び、自分から好きになってみる。いまやっていることを好きになれない人は、案外、何をやっても好きになれないのではないかと僕は思う。

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