西暦1900年代の偉人

【鈴木貫太郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:首相官邸

今回は有名な「鈴木貫太郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「鈴木貫太郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

鈴木貫太郎とは

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応3年12月24日〉- 1948年〈昭和23年〉4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等功三級男爵。

海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任、さらに枢密顧問官も兼任した。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切って、ポツダム宣言受諾により第二次世界大戦を終戦に導いた。

参考:Wikipedia

鈴木貫太郎の名言集

常に徳を修め智を磨き日常の事を学問と心得よ

永遠の平和、永遠の平和

理外の理ということもある。徹底抗戦で利かなければ死あるのみだ!

共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な價値あるものとは認めず默殺し、斷乎戰爭完遂に邁進する

陛下の、国家の不名誉を招来した責任は誠に重い。だがその結果、民族が残り、国家が再生するのだから、心から復活を願い、余生を傾けて真に国家が健全な肉体になるまで見守ってゆくのが自己の責任と痛感している。

軍備は国家の防衛のためのもので、みだりに政治に利用してはならない

窮達を以って節を更ふべからず

阿南さんのお気持ちは最初からわかっていました。それもこれも、みんな国を思う情熱から出てきたことです。しかし阿南さん、私はこの国と皇室の未来に対し、それほどの悲観はしておりません。我が国は復興し、皇室はきっと護持されます。陛下は常に神をお祭りしていますからね。日本はかならず再建に成功します。(二・二六事件の阿南が最後に訪問したときの言葉)

もう賊は逃げたかい

阿南君は暇乞いにきたのだね。(阿南が静かにうなずいて「私も、そう思います」と言って辞去すると、鈴木は迫水久常につぶやいた。その数時間後、阿南は割腹自決した。)

(首相に推薦されたことに対し)とんでもない話だ。お断りする

(「若し軍人が宮中に武装してきたらどうするか」が論議されたとき)軍人でもなんでも無法の者は撃て

今日、私に大命が降下いたしました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります。

日本人として残しておきたい美点と言えば、武士道であると思う。日本が過去において世界に誇ってよかったものは武士道であると思う。武士道は正義を重んずる精神であり、慈悲に尊ぶ精神である。これを失ったままにしておく事は日本民族の精髄を失う事になる

常に心を静謐に保ち危急に臨みてなほ沈着なる態度を維持するに注意すべし

症を負った時、多治速比売命が、枕元にお立ちになって命を救われました。そのお礼にお参りに来ました

共同和諧を旨とし常に愛敬の念を有すべし

われは敗軍の将。郷里で畑を相手に生活しております

死ということは、最も容易な方法で、なんでもないことだ。

議をつくすこと数時間に及びましたが、事態は一刻の猶予ゆうよもない状況です。このうえは陛下の思おぼし召しをおうかがいし、本会議の決定としたいと思います

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