神はわれわれの砦である。
自説を取り消すことはできない。
喜びについて信仰が不足していることを私たちは知ることができる。強く信仰するなら、また必ずや強く喜ぶに違いないのだから。
平安はいかなる権利にもまして貴重なものである。 平安が権利のためにではなく、権利が平安のために作られているのだ。 したがって、どちらかが道を譲らねばならないとしたら、権利が平安に譲らねばならないのであって、平安が権利に、ではない。
私がここに座って、うまいヴィッテンベルクのビールを飲む、するとひとりでに神の国がやってくる。
聖アンナ! 私は修道士になります、お助けください!
ひとつの嘘を本当らしくするためには、いつも七つだけ嘘を必要とする。
この世でなされる全てのことは、希望の力によりなされる。
私は聖書の中にただ、十字架に付けられたキリストのみを理解する。
私は話すとき、自分を最も低く引き降ろす。聴衆のうちインテリを見ないで、子供を見て話をする。
神の道は、後ろからだけ読むことができるヘブライ語の本のようなものだ。
道理は信仰の敵である。
我々は生の真っ只中にあって、死に取り囲まれている。
信仰は、すべての理屈、感覚、理解を踏みにじらなければならない。
我はここに立つ。 他になしあたわず。 神よ我を救いたまえ。 アーメン。
たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。
希望は強い勇気であり、新たな意志である。
笑うことを許されない天国なら、私は天国にに行きたくありません。
良い結婚よりも、美しく、友情があり、魅力的な関係や団体、集まりはない。
私の良心は神の言葉の中に捉えられている。