西暦2000年代の偉人

【井上 ひさし】小説家、放送作家の名言集|名言まとめドットコム

引用元:川西町フレンドリープラザ

今回は有名な「井上 ひさし」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「井上 ひさし」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

井上 ひさしとは

井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月16日 - 2010年4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者、日本藝術院会員。本名は井上 廈(いのうえ ひさし)。1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。

日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を造り、運営した。

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」を創作のモットーとしており、文体は軽妙であり言語感覚に鋭い。言葉に関する知識が、「国語学者も顔負け」と称されるほど深く、『週刊朝日』において大野晋、丸谷才一、大岡信といった当代随一の言葉の使い手とともに『日本語相談』を連載する。また、『私家版日本語文法』や『自家製文章読本』など、日本語に関するエッセイ等も多い。

参考:Wikipedia

井上 ひさしの名言集

朝目覚めたときに、今日も頑張ろうと思えることが大切。そう思えなくなったら、その原因はなんなのかを自分で見つめる必要がある。

優れた文章書きは、なるべく小さく千切ったものを、相手に次々に提供していく。

次の地球で生きていくためにはこうしたらいいよ、こう考えると楽だよ、という思いを常に作品の根底に込めておきたい

一番大事なことは、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くということ。

人はみな死んで花実は咲かねども花実が咲くのはドン・ガバチョだけ。

買ってすぐに読まないでも、机の横に置いておけばいいんです。不思議なことに、ツンドクをしておくと自然にわかってくるんですね。「これ読まなくていいや」とか、「これは急いで読まなきゃいけないな」とか。だから、ツンドクは案外にいい整理法じゃないかなと思うんです。

被爆国がこれから増えないという約束はどこにもない。

演劇そのものが、つまり舞台それ自体が絵画であり、音楽でもあり、彫刻でもあり、詩でもあると感じました。

私はすべての芸術は、全人類にとまでは言わなくても、少なくともそのサポーターたちにほんの少し、生活のヒントを与えるのが仕事だと考えています

黙っているうちに、世の中がどんどんヘンな方向へ流されて行く。そしてその結果はなにもかもすべて、黙っていた人たちの上に覆い被さってくる。

地球が生き延びるためには、対立を超えた、新しい価値観が是非にも必要です。

生娘の一番いけない所は、鼠にもキャッと悲鳴をあげるくせに、狼には笑いかけたりする事なんですよ。

ある選択をするということは、その選択によって生まれるはずのマイナスをすべて背負うぞ、ということでやんしょ。

問題なのは、接続詞を使うと、何も言っていないのに、すごくいいことを言っているような気になってしまうことです。

文章を書く相棒というのは、原稿用紙のむこうにいる読者でもあれば、自分の長期記憶でもあるんです。その相棒と手を繋いで書いていく。

日本は今のところ世界で唯一の被爆国です。言葉を変えれば、未来の戦争を体験している唯一の国です。

駄洒落を愛するということは、同音異義語の多いわたしたちの日本語を愛することと同義である。

暴れ狂っているなにものかを表現可能なものにするために、作家は技法という回線を敷き、その回線を通じて、そのなにものかをじぶんの外へ採り出すのです。

本当におもしろいのは、書いているうちに筆が自然に外れていくことなんですね。そっちへ行っちゃだめ、というのに外れていく。それがいちばんおもしろいんです。

本を批評しなければならないときは、「一つでもよいところがあれば、命がけでほめる。だめな本は取り上げない」というのをただ一つの原則にしている。

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