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【ジャン=ミシェル・バスキア】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Wikipedia

今回は有名な「ジャン=ミシェル・バスキア」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「ジャン=ミシェル・バスキア」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

ジャン=ミシェル・バスキアとは

ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 - 1988年8月12日)はニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。グラフィティ・アートをモチーフにした作品で知られる。苗字の発音はフランス語の名前なので本来は語尾の t は発音されない。ハイチ系アメリカ人。

17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・ヘリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。また、絵の中に描かれる王冠は彼のトレードマークとなっている。一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ本が由来している。

参考:Wikipedia

ジャン=ミシェル・バスキアの名言集

信じてもらえないかもしれないけど、実は僕は絵がうまいんだ。

まずは絵を描き、それを完成させる。描いている間は、アートについては考えない。人生について考えるようにしている

僕は原則、アメリカ的な環境で育った。

アフリカには行ったことがない。僕はニューヨークという環境に影響されたアーティストさ。でも僕には文化的な記憶が残っている。それは探すようなものじゃなくて、そこにあるものなんだ。

僕は自分のヒーローについて考える。チャーリー・パーカー、ジミ・ヘンドリックス。人が有名になっていく過程をロマンティックなものとして考えていたんだ。自分の作品がそれほどよくないと思っていたとしても、信念だけは持っていた。

僕のほとんどの絵の主人公は黒人だ。黒人を描いた絵がそれほどないことに気づいたんだ。

世界の至宝、それはアート。アートは永続する。アートは人より永くここにあり続ける。

アートについて学校で学んだことはない。

友達はみな、僕があげた絵を全部売ってしまったよ。ほとんどすべてを。

僕はアートについて語るのが好きじゃない。

"I don't listen to what art critics say.I don't know anybody who needs critic to find out what art is"俺は芸術評論家のいうことに耳を傾けたりしない。アートがなんであるかを見出すために評論家が必要な奴なんて俺は一人も知らない。

俺は俺だと

芸術とは言葉では伝えきれない「何か」を伝える術。

人間はもっと精神的に生きるべきだろ。

あまり描き込んでいない(絵の)方が好きなんだ。

フラストレーションに突き動かされてたくさんの作品をつくってきたよ。

描けば描くほどすべてを好きになっていく。

魔法にはそれほど興味はない。

作品が完成したという直感が好きなんだ。

僕はエリート主義者ではなく、アーティストのファミリーになりたいと思っている独学者だ。

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