西暦1900年代の偉人

~グレース・パトリシア・ケリー~の名言集|名言まとめドットコム

引用元:YOCHIKA BLOG

今回は有名な「グレース・パトリシア・ケリー」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「グレース・パトリシア・ケリー」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

グレース・パトリシア・ケリーとは

グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日 - 1982年9月14日)は、モナコ公国の公妃。アメリカ合衆国の元女優。

同時代に活躍した女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちた容姿が「クール・ビューティー」 (cool beauty) と賛美された。人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し、女優業から引退した。

映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞。

参考:Wikipedia

グレース・パトリシア・ケリーの名言集

慎ましく、思いやりある人間だったと、みんなの記憶の中に残しておいてほしいのです。

日本には歴史ある文化があるのですから、体で独自の文化を理解するようにしなさい。

ただ月を眺めるだけのために、竹で縁側を作るとは、なんて素敵なセンスでしょう。

優しさ、礼儀、美、敬愛といった美徳を、日本が失わずにいることを、世界中が切望しています。

花を愛することで、いろんな可能性が開けました。多くの友人ができたのも、花に対する情熱によるものです。

花は私に多くの扉を、開いてくれました。言葉よりも感情で、訴えかけてくれたのです。

たとえ私が南極にいても、あなたが困っていれば助けに行くわ。そのことを覚えておいて。

私は、子どもたちの気持ちや意思を、完全に尊重しています。

主人は私のことを、彼にとっての『政府』だと言い、私は彼のことを私にとっての『指導者』だと言っています。

第三者から私たちに関わることについて訪ねられると、彼は決まってこのように言います。

『まず私の政府に相談してみないと』

女性の生まれながらの役割は、家族の柱になることです。

自分の直感や第一印象を信じなさい。

娘たちとはお互いに愛を与え尊重してきました。なんでも話し合っていました。

でも母親は彼女たちにとって一番の親友とはなり得ないのです。

自分の気持ちには、従うべきだと思います。私もいつも、そのようにしましたから。

結婚には妥協しなければいけないこともあるわ。お互いに物事がうまくいくよう努力しているの。

どの結婚にも、嵐のような時期があります。

幸福、幸せであるということが、永遠に続く状態はないのだと思います。人生ってそんなものでしょ。

メディアが自由になることで、個人の自由が奪われてしまいます。

王族とは、継続性を象徴するのです。

私は結婚する前、典型的な20世紀を代表する現代的な若い女性でした。独立心旺盛で、仕事も毎日の暮らしも十分満喫していました。

でも、あまりにも独立しすぎていた。それでは女性が幸せになれるとは思いません。

幸せとは、自分に平和を感じることだと思います。

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