偉人 武田信玄

【武田信玄】の名言集|名言まとめドットコム

今回は有名な「武田信玄」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「武田信玄」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

武田信玄とは

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。生誕:大永元年11月3日(1521年12月1日)ー死没:元亀4年4月12日(1573年5月13日)
。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化して国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野および遠江、三河、美濃、飛騨などの一部を領した。次代の勝頼期にかけて領国をさらに拡大する基盤を築いたものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。

参考:Wikipedia

武田信玄の名言

大将があまりに怒らなければ、家臣は油断をするものだ

信頼してこそ、人は尽くしてくれる

負けるはずのない戦いに負け、亡ぶはずのない家が滅ぶのを、人はみな天命と言う。自分はそれを天命とは思わない。すべてやり方が良くなかったためだ

大将が善であれば、その部下も善である。

上下ともに正しければ、戦いに勝ち、世の中に名前を知られるようになる。しかし、その器にもなく名声を好むことは、恥の根本である

やればできる!やらなければできないことをできないと諦める人は残念だ!

鏡で物を見るように、大将の私心をなくすがよい

一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る

甘柿も渋柿も、ともに役立てよ

大将は同じようなタイプの人を好んで使うことを避けなければならない

組織はまず管理者が自分を管理せよ

強いはもろいの裏返しで、弱いは柔軟の裏返しであるからだ

百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず

過ちが有りながら拾った勝ちは、やがては敵の勝利につながる

人材こそが強固な守りになる。情けは人の心をつなぐ事が出来る。しかし仇が多ければ結局は国を滅ぼす事になる

強いところはよく強くし、弱いところはより弱くするのがよい

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり

鬼をもあざむくほどの彦六が、あんな小男に討たれたのは、武運が尽きたのである。

前々から、組み打ちの勝負次第で決着をつけると約束した以上、川中島のことは約束通りにしなければいけない。

違約は武士として恥じるべき事、君子に二言はない。川中島四郡は今日より上杉家に差し上げよう

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