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【源 義経】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Japaaan

今回は有名な「源 義経」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「源 義経」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

源 義経とは

源 義経(みなもと の よしつね、源義經、1159年 - 1189年)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は異母兄。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。

河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。

その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を始め、多くの伝説、物語を生んだ。

参考:Wikipedia

源 義経の名言集

後の世も また後の世も廻り会へ 染む紫の雲の上まで

迅速こそ、勝利である

道なくば岩をよじ、山をつらぬいてゆくまでよ

なぜ平家の姫君が源氏である私に好意を寄せるのか

殊ニ存念アリ、一陣ニオイテ命ヲ棄テント欲ス(特別に思う所があって、先陣において命を捨てたいと思う)

この義経を見本とせよ!

御経もいま少しなり。読み果つるほどは、死したりとも、われを守護せよ

永(ながら)く恩顔を拝(はい)し奉(たてまつ)らず、骨肉同胞の儀すでに空(むな)しきに似たり、悲しきかな

軍はただ平攻に攻めて勝ちたるぞ心地はよき

この崖は鹿が下ることもあるか?

おれの乗り様を手本にせよ

必勝の戦法は敵を包囲するにあり、そのためにはいかに兵力僅少でも、二手に分けなければならぬ

人よりも百倍臆病であるとすれば、百倍勇気を奮い立たせればいいではないか

鹿も四足、馬も四足!

勝つということは味方に勝つ事である。味方に勝つというのは我に勝つ事だ。我に勝つというのは、気をもって体に勝つ事である

まとめ

今回は「源 義経」の名言・名セリフ集をご紹介しました。

お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。

「源 義経」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。

ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。

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