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【伊達政宗】の名言集|名言まとめドットコム

今回は有名な「伊達政宗」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「伊達政宗」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

伊達政宗とは

永禄10年8月3日(1567年9月5日)、出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗の嫡男として、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)から生まれた。
5月24日卯の刻(午前6時)死去。享年70(満68歳没)。死因は食道癌(食道噴門癌)と癌性腹膜炎の合併症と断定されている。

出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。
幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。
「独眼龍」のあだ名で呼ばれるのは、江戸時代後期の儒学者頼山陽の賦した漢詩にまでさかのぼる。山陽の没後、天保12年(1841年)に刊行された『山陽遺稿』に収められた「詠史絶句」15首のひとつに、政宗に題をとったものがある。天保元年(1830年)の作とされている。

参考:Wikipedia

伊達政宗の名言集

物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。

大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし。

まともでない人間の相手をまともにすることはない。

朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。

仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする

馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。

仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。

気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。

今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。

曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く

わきて釣りには他念なきものなり。太公望、おもしろがりたるも道理かな。罪も報(おくい)も後の世も忘れはてておもしろやと、げにさもあらずるものを。

人がこの世へ生まれて百万長者も、最後に及んで要する所は、方六尺の穴一つ、戒名を刻んだ石碑一つで、家も、倉も、金も、地所も、妻も、子も、すべてを残して、死出の旅路をただ一人辿る。曾(かつ)て我が者と思ったもの、一として我に伴うはない。我は客人であったのである。

勇をたのみにがむしゃらに相手を選ばず戦っている。これは弱冠の者の行為である。強い相手を避け弱い者を選んで戦い進退のツボを心得る。これは壮年にならなければ出来ぬことだ。

義に過ぎれば固くなる

歴史を読めば、最大の敵は外から来ない。不平分子が家を亡ぼすのだ。

時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ。

茶器を割ったのではない。自分の器量の小ささを割ったのだ。

若者は勇猛に頼り、壮年は相手の強弱を測って戦う。

曾(かつ)て我が物と思ったもの、一として我に伴うはない。我は客人であったのである。

おのおのの申すことはもっともだが、延引することも時と場合による。今は火急の時だ。わからぬ将来のことを心配しているより、まず目前のことをする。

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