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【蟹江 敬三】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:JIJI.COM

今回は有名な「蟹江 敬三」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「蟹江 敬三」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

蟹江 敬三とは

1944年10月28日、東京都江戸川区小松川町出身。- 2014年3月30日死去。日本の俳優、ナレーター。
東京都立新宿高等学校に在学中、偶然に舞台に立った際の解放感をきっかけに俳優の道を志す。元々は引っ込み思案だったとい]。卒業後、劇団青俳を経て、演出家蜷川幸雄らと、青俳を脱退した岡田英次らが立ち上げた「現代人劇場」へ移籍(1968年 - 1971年)。その後蜷川や石橋蓮司らと「櫻社」(1972年 - 1974年)を旗揚げする。演劇活動の一方、映画やテレビの時代劇・刑事ドラマにも数多く出演する。その野性的な魅力は、日活ロマンポルノにおいて「強姦の美学」とまで讃えられた。
1980年代前半までは猟奇的でエキセントリックな悪役としての出演が多かった。この頃は役柄の影響もあって、当時小学生であった息子である一平がいじめを受けたこともあった。
『熱中時代』(第2シリーズ)以降、それまでの役柄から善人役への転身に成功、個性派俳優としてのポジションを確立し、日本人俳優屈指のバイプレーヤーと称されるようになった。活動後期には悪役を演じることはほとんどなく、ベテラン刑事や気のいいオヤジの役を演じることが多かった。
2013年12月末に末期の胃癌との診断を受け、2014年1月から体調を崩して入退院を繰り返した。2月から仕事に復帰したが、3月17日に生前最期の仕事となった『ガイアの夜明け』のナレーション収録後、3月19日に容体が急変して入院[6]。3月30日午前8時27分に東京都新宿区の病院で逝去[。

参考:Wikipedia

蟹江 敬三の名言集

ごめんな、パパが悪役で。でもこれが俺の仕事だ。お前たちは俺が守る

主役だろうが脇役だろうが『自分の役を全うするのが役者』

俺には演技の道しかない

自分が出るシーンは自分が主役

どんな役でもやれるけど、でも、何をやっても「蟹江らしいね」と言われる俳優。そんな存在を目指して、この40年間やってきたつもりです

気がつくと、役者はみんな年を取って。顔を合わせると、体のどこが具合悪いとか、そんな話ばっかり(笑)

『鬼平犯科帳』は、宝物ですね。私の役者の経歴に『鬼平犯科帳』がなかったら、ずいぶん寂しいだろうなと思います

現場に入ると、気持ちが粂八になるんです

私の芝居に関しては、セリフから感じ取れるものを、その場でやるというやり方で、計算はあんまりしてないんです

(島田正吾について)僕なんか、テンポ良くしゃべることばかり頭にあったんで、こんなに間をとって芝居やる人、見たことなかったんです

粂八は、曲芸団にいたことがあって、綱渡りするような身軽な男。それを尾行している場面で出せるかというと難しい(笑)。もうちょっと若い頃は、身のこなしも軽かったと思いますが、今では、だいぶ重くなりましたから(笑)

まずは相手のセリフをよく聞くということですよ。そこは、基本中の基本です。自分の反応なり、衝動なりは、相手の言葉を聞かないことには出てきませんから

息子が一人前になったら、いつかは共演したい

僕のモットーは『ひたむき』だけです

あまり考えない状態でその現場にスポッと入るようにしています。現場で相手との呼吸を作っていくわけですから

台本をもらってまず考えるのは、外側のことですね。どんな衣装を着るのか、髪型はどうか、髭はあったほうがいいのか

三十代ではね、なんてったらいいのかナ……ま、四十代で花開きたいと思うわけですよ。

TVで主役に斬られたりすると、(子供たちが)泣くのね。お父さん死んじゃったァーって(笑)ボロボロ泣くんだよ。あれはウソで死んでるんだよっていえば、わかるようになりましたけど

(奥さんには)あんまり、苦労かけたとも思わないスね。だって、向こうにしてみれば、そうすることがある生きがいになってたわけだから……いいんじゃないのかナ

よくある話だけど、女房に食わせてもらってた。いわゆるヒモ時代が長いですから(笑)……昼間は喫茶店、夜はバーに行ったりね、働き者で(笑)そのおかげで芝居を続けられたわけで

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