私もボランティアで被災地を巡るなどしていますが、子どもたちが“なんのために生まれて”と歌っている姿は本当に感動的。すごい歌ですよね。アンパンマンの歌やストーリーには、子どもたちに届くものがきっとある
私がやっているお仕事の中でも、一番長く続いているもの
毎週1回は収録に行って、30年もチーム一丸となってやってきた。チームみんなが、この作品に選んでいただいたことを“宝物”のように思っているんです。
楽しいことがあれば分かち合って、つらいことがあればみんなで泣いてきた
先生がお亡くなりになって、どれだけ私は先生に守られていたのかと思った。先生という、大きな傘の中に入っていたんです。支えがなくなってしまったと思いました。先生と共に歩んできたとも思っていたので同時に『もうやれない』とも思ってしまったんです
13年の10月に先生が亡くなって、14年のお正月に仙台のアンパンマンこどもミュージアムに行って。子どもたちが『アンパンマン!』と応援している姿を見て、彼らはなにがあってもアンパンマンが大好きなんだと直に感じた時に、頭をガツンとやられた気がしました。
“使命”として、これからもやらなければいけないんだと思った。先生が大きな傘だとしたら、私たちはみんなで小さな傘を開いて、それを重ねて大きな傘にしていきたい
やなせ先生こそ、アンパンマンのような方でした。いつも『人が喜ぶことをしなさい』『やれるのにやらないのはダメだ』とおっしゃっていて。
以前、中村中さんに『強がり』という等身大の歌を作ってもらったんですが、その歌詞にあるように誰もが強がっていないと生きていけないですから
私は誰かに喜んでもらえる仕事をしているんだなと改めて思うんです。立ち止まってしまったり、もういやだと思う時があったとしても、それ以上に『いい作品を届けたい、喜んでもらいたい』という想いが勝る。やっぱり“喜び”って、ものすごいパワーがあるんですよね
まとめ
今回は「戸田 恵子」の名言・名セリフ集をご紹介しました。
お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。
「戸田 恵子」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。
ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。