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【五木 寛之】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:新潮社

今回は有名な「五木 寛之」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「五木 寛之」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

五木 寛之とは

1932年9月30日福岡県八女郡に生まれる。日本の小説家・随筆家。福岡県出身。大学抹籍以降、創芸プロ社でラジオのニュース番組作りなどいくつかの仕事を経て、業界紙『交通ジャーナル』編集長を務めるかたわら、知人の音楽家加藤磐郎の紹介で三木トリローの主宰する三芸社でジングルのヴァース(CMソングの詞部分)の仕事を始める。
1967年にソ連作家の小説出版を巡る陰謀劇『蒼ざめた馬を見よ』で、第56回直木賞を受賞。
1972年から一度目の休筆に入り、その間の1973年に『面白半分』編集長を半年間務める。1974年に執筆活動を再開。
1976年、『青春の門・筑豊編』により、第10回吉川英治文学賞を受賞。1981年からは再び執筆活動を一時休止し、龍谷大学の聴講生となり、仏教史を学ぶ。
2004年には仏教伝道文化賞を受賞した。
2009年にはNHK放送文化賞を受賞した。
2010年には『親鸞』上・下により、第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞した。

参考:Wikipedia

五木 寛之の名言集

味わう、ということは、どんなささやかなことでも、宝石に変えてしまう不思議な体験です。

私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい<よろこび上手>こそ、苦しい世に生きていく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。

世の中に、自分で試してみないでわかることなんか、ひとつも無い。

人生の目的は、「自分の人生の目的」を探すことである。

一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。

私たちは、まず、自己を肯定するところから出発したほうがいいようです。自己を肯定し、自己を認めてやり、自己をはげまし、よろこばせること。それが必要ではないか。

大事なことは何か。なにごとによらず、一つずつの行為を十分にあじわいながら、その一瞬を大切に過ごすこと。それがいま、特に大切に思われてならないことなのです。

人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、自然なかたちで他人を大切に思うことができる。

人間これという一つに打ちこんだら、驚くほどのことができる。

楽しいことは長続きする。好きなことは長続きする。気持ちのいいことは長続きする。そうでないことは、どんなに強制されても結局は続かない。

みじめな思い出が、人生で貴重な財産となるときもある。

本居宣長は人は生きている限り悲しい目にあうと言っています。悲しいときにどうするか。悲しみから目をそらさずに悲しめと宣長は言います。悲しいと思え。そして悲しいと呟け。人にそれを語れ。歌にも歌え、と。そうすることによって自分の中の悲しみを引きはがして客体化することができるし、それを乗り越えられる。

肉体的な弱点でも、内面的なものでも、それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです。

寂しさを誤魔化そうとかしてはならない。自分を欺いたりしないで、そのさびしさをまっすぐに見つめ、その自分の心に忠実にしたがえばよい。

「食べていけるだけ」「生きているだけ」というのは、そんなに価値のないことでしょうか。

「人間には無限の可能性がある」というような言い方には、どこか嘘があると思う。人間にはできることと、そして、できないことがある。

人生は思うにまかせねものである。好きであっても素質がない場合もあり、素質はあっても環境や運に恵まれず、好きではない世界で一生をおくらなければならないこともある。

人生の目的の第一歩は、生きること、である。

私たちは死ぬときは、ただひとりで逝く。恋人や、家族や、親友がいたとしても、一緒に死ぬわけではない。人は支えあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。

証明することができない事柄を信用しない人がいる。科学的でない、という理由からだ。しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。

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