居場所のない者や異形の者、仕事のない者が、そこに集まって何かを成し遂げる
「この世の終わりだ。後は闇だ。無の世界だ」と思っています(笑)
まるで自分の物語のようだった
周囲に違和感を覚えたり、環境が合わなかったり、シャイで誰とも話ができなかったり…十代の頃、私もそういう経験をたくさん味わってきた
主人公ジェイクのぎこちなさは、自分を見ているようだった
思考や性格など、何らかのカタチで私の一部を投影した
ありのままの自分を肯定し、まっすぐに生きること。それがどんなに奇妙でも、どんなに変わっていても、それでいいんだ、大丈夫!っていうことを伝えたかったんだ
映画は私の避難場所ではありましたが、その反面、自分の心理や想像力を探求する場所でもあった。
映画を通じて私の心は解放されたのだと思います。
ダンボはその大きな耳で空を飛び、欠陥のように見えるかもしれないものが、美しいものに変わる……。
ただ自分のベストを尽くすだけでいいんだ。そうでなければ、圧倒されてしまい、考え過ぎてもっと落ち込んで悲しくなってしまう
学校を切り抜けられたら人生において助けになるけど、そのことで落ち込み過ぎないようにして。
僕は自分のことを変だなんて思ったことはなかった。でも他の人は僕のことをそう思っていた。
誰にも変なところはあるんだって思えるようになったら、変であることがいけないことだと思わなくなった。
エイサ(・バターフィールド)に会って、すぐさま彼のことを“奇妙だ”って思ったんだよ(笑)
奇妙なこどもたちが住む家も実際に探したし。
手に負えないほどひどい子役の話をよく耳にするだろう(笑)?
実際に、象が飛ぶのは不可能だけどね。
家族にはいろいろな形があるからね。映画に関わったスタッフやキャストも家族のような存在だと言える。
母親を愛していても愛していなかったとしても、親子の間には強い絆があると思う。