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【中原 淳一】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:中原 淳一オフィシャルサイト

今回は有名な「中原 淳一」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「中原 淳一」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

中原 淳一とは

1913年(大正2年)2月16日、香川県大川郡白鳥本町(現・東かがわ市)に生まれる。1983年(昭和58年)4月19日死去)。日本の画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。
1928年(昭和3年)
日本美術学校入学。本格的に西洋絵画を学ぶ。
1932年(昭和7年)
3月、東京の銀座松屋にてフランス風人形の個展を開催。これを機に雑誌『少女の友』の専属画家として同年6月号でデビュー。表紙、挿絵を手がけるようになる。
後に日中戦争が激化すると、優美でハイカラ、かつ目が大きく西洋的な淳一のイラストは軍部から睨まれた。その圧力により、淳一は1940年(昭和15年)5月号を最後に「少女の友」の専属画家を降板。
1937年(昭和12年)
『少女の友』誌にて連載の川端康成『乙女の港』の挿絵を担当、大ブームとなる。
1940年(昭和15年)
11月、宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子と結婚。のち二男二女に恵まれる。
8月、雑誌『ソレイユ』(フランス語で太陽、ひまわり。後の『それいゆ』)を創刊する。国土が荒廃し物資が不足していた時代に、生活を豊かにする方法を多くの女性に授けることで爆発的な売れ行きを示した。「ヒマワリ社」(後の「ひまわり社」)を設立。

参考:Wikipedia

中原 淳一の名言集

雨の日は、雨の日でなければできないおしゃれをする。それも雨の日を明るい心で暮らすひとつの方法です。

毎日の生活の中に、また、毎日の生活のその中でもっとも自然に愉しさを見出すことができたら、どんな幸せなことだろう。

どうすれば幸福になれるかということは、人と生まれた以上は、だれでもが考えないではいられぬ人生の第一義的なものといえよう。

幸福というものは、すべて自分の努力によって見出すもので、他人が他人の幸せを規定することはできない。

幸せとは自分の心の中の喜び、一人ひとりの心の中にあるものなのです。つまり、自分が幸せと感じることです。

幸せになりたかったら、自分の身のまわりの幸せを、自分で感じるような人になることが、一番大切だということを知ってください。

自分の身近にどれだけの幸福があるかひとつ一つ数えてみてください。

いつでも自分を大切にするのが、自分自身へのエチケット。

いつの場合にも、季節に先駆けた装いをすること、それがあなたを美しくみせるコツのひとつです。

美しいものには出来るだけふれるようにしましょう。美しいものにふれることで、あなたも美しさを増しているのですから。

日本中の女性―――といっても、それは、実はあなた方一人ひとりが、自分をもっと美しくしようと考えて、ほんの少しでも努力して心がけてゆけば、結局はそれが日本中を美しくする......ということになるわけです。

今日よりはまた明日がもっと美しくなったとしたら日本中はまたずっと素晴しい、美しい国になっているわけです。

日本中の人が、昨日より今日の方が少しでも美しくなったとしたら、日本中は昨日より今日の方が美しい国になるのです。

何気なく食卓に添えられた一輪の花が、どんなに人の気持ちに潤いを持たせ、幸福にするかを知っている人でありたい。

何でもが心にピンピンひびく人。そして実行に移す人。働くこともおしまない、手紙もよく書く、愉しい生活のプランも立てる、遊ぶことも上手、明るい表情を忘れない、こんなまめな人が幸福になる人。

だれが見ていなくても、美しいねまきを着るということは、昼間のあなたの表情を明るくさせて、あなたをもっと美しくさせる大きな「カギ」となるでしょう。

清潔好きな人は、生活から、常に乱雑さや汚らしさを除いているわけで、そうしたところから幸福を広げてゆくに相違ない。

女性が「美しく」見えるときは、美しい服を着ていることだけではなくて、そのひとのほんのちょっとした女らしい心づかいから、思いがけない美しさが見られるものだということも、知ってください。

季節の変わり目というのは、いつも女の人が一際美しく見える。

愛する心は、夫や恋人にだけ与えるものではなく、すべてのものに愛情深くあってほしいのです。

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