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【渡部 陽一 】の名言集|名言まとめドットコム

「世界で日本のパンが一番柔らかくておいしい。現地ではこの日本のパンは『ジャパン』と呼ばれる。」

「これはシークレットなオペレーションですから」
「サバイバルイングリッシュを、使います」

トラックの運転手が「伏せろ!」と叫んだ瞬間、少年たちが突然、銃を乱射してきました。トラックに銃弾が何発もあたり、耳元を金属音が飛び交っていく。少年たちが銃を撃ちながらこちらに向かってくることに震え上がりました。その瞬間、死の恐怖に襲われトラックから転げ落ち、そのまま失禁、赤ん坊のよう地べたを這いずりながら、トラックの後部へ無意識のうちに逃げようとしていました

絶対にひとりぼっちでは動かないというのが鉄則です。ひとりでフラフラ歩いていると一発でやられるので、必ずその地域で暮らしているガイドさんやその関係者、家族などと一緒に動くんです

危険地帯に行くときは危機管理を徹底させます。そうすることで、安全性が高まり恐怖も和らぎます。その絶対条件はガイドさん選び

取材先の国にジャーナリストとして入り込んでいくからには相手の生活慣習やルールに従って、取材を続けていくことが良き取材結果を引き寄せる一番の方法なのかも知れません

信頼を得るために最も大事なことは、その国の文化・習慣に敬意を払うことだと感じています

戦地に赴くために大事なことは、できることは何でも用意しておくことだと感じています。取材の全体を見渡すと準備が80%、撮影は20%

戦場取材から怪我をせずに帰国するために気を付けていることがあります。それは「引く勇気を持つこと」

物で生活環境を変えることもできるんですけれども、ただ横に座っているだけであったり、挨拶をするだけであったり、握手をしてお互いの体温を感じあうだけでも、気持ちがはぁっとさせられる

戦場で苦しい中、気持ちを平常心に整えていく方法は、言葉と、お話しの、よろこびなんです

戦場には確かに地獄絵図があります。でも、現地でいつも思うのは、そこで生きている人々の時間に厚みがあるということ

世界中の子どもたちの声をもっともっと、聞いていきたい

ベトナム戦争時代から百戦錬磨のジャーナリストの方々の死を目の当たりにした時。亡くなった後、その方の取材した記録やカメラやPC、さまざまな取材機器だけがどっさりと残った。先輩であり先生でもあった人が今この場にいなくて、物だけがどっさり残っている。それを見ながら、“ジャーナリストとして伝えるべきもの、これからの自分がやるべきこととは何なのか?”と非常に考えさせられました

戦場の最前線を取材していて、遭遇する大きな葛藤についてお伝えします。それは、撮影する被写体が危険にさらされているときに“助けるべき”なのか、“撮影するべき”なのかという瞬間です

現場に何度も足を運ぶことで世界常識を肌でとらえ、日本を発った時点で生まれたての赤ん坊のような柔らかい五感に気持ちをリセットしてしまうことが理想なのかもしれません

日本では絶対に許されないことが諸外国では当たり前に許されることが数多くあり、現場で動揺したり、悲しい結果になってしまったことが今まで多々ありました

(戦場とは)取材よりも、危機管理が第一の場所であると思っています

1回目で取材拒否なら3か月後にもう一度トライ。ダメなら1年後と、何年もかけて追いかけてコンタクトを積み重ねていきます。コツコツ緻密な作業を続けていくことで初めて、取材を進めていくことができます

世界には日本とは異なる生活習慣や常識で生きている人がたくさんいます。「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」といわれる通り、どの国の常識が正しいということはまったくありません

まとめ

今回は「渡部 陽一」の名言・名セリフ集をご紹介しました。

お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。

「渡部 陽一」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。

ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。

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