西暦1800年代の偉人

【久坂 玄瑞】の名言集|名言まとめドットコム

(『解腕痴言』において)幕府が攘夷の勅旨を受けながら、「優柔不断 挙を」なさぬときは、「回天の御良策」として(外国と幕府への)「御親征」あおぐ

いくそたびくりかへしつつわが君のみことし讀めば涙しこぼるも

(共に自刃しようとする入江九一を説得し後を託した)如何なる手段によってもこの囲みを脱して世子君に京都に近づかないように御注進してほしい

あなたなる峯の白雲夕ぐれに見ればかなしも世の事思ふに

自分は意志が弱く、何かことをなすような人間ではない。かしそこで自分を駄目だと思ってあえて何もしなければ、
すなわちできることもできなくなってしまう。一時の平安に身を任せることを日また一日と重ねれば、ついには畳の上で老死するだけである。

今回の件は元々、君主の無実の罪をはらすために、嘆願を重ねてみようということであったはずで、我が方から手を出して戦闘を開始するのは我々の本来の志ではない。それに世子君の来着も近日に迫っているのだから、それを待って進撃をするか否かを決するがよいと思う。今、軍を進めたところで、援軍もなく、しかも我が軍の進撃準備も十分ではない。必勝の見込みの立つまで暫く戦機の熟するのを待つに如かずと思うが

時なればせんすべもなしもののふのあはれ吾が君もおもちちもおきて

時鳥 血爾奈く声盤有明能 月与り他爾知る人ぞ那起 (ほととぎす ちになくこえは ありあけの つきよりほかに しるひとぞなき)

あづさ弓春も来にけりもののふの引き返さじと出づる旅路に

一つとや、卑き身なれど武士は、皇御軍の楯じゃな、これ御楯じゃな。
二つとや、富士の御山は崩るとも、心岩金砕けやせぬ、これ、砕けやせぬ。
三つとや、御馬の口を取直し、錦の御旗ひらめかせ、これ、ひらめかせ。
四つとや、世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい。
五つとや、生くも死ぬるも大君の、勅のままに随はん、なに、そむくべき。

おまえの人生がつまらんのは、おまえがつまらんからじゃ!

あなたの体調が回復したようで安心しました。私もハシカを患いましたが、今ではすっかり良くなったので安心してください。梅太郎兄さんもハシカに罹ったそうですが、それも快気したそうで安心しました。

このたび、拙者ども36人、下関出張として赴き、昨夜、富海(とのみ。現在の防府市)に着きました。このたびは萩へ帰ることはできず、いかにも情のない者と思われるでしょうが、お国の大事にはかえられません。まことに大人数にて心強きこと。面白く、勇ましきことです

最近は何かと心配ごとが多く、思うようにいかないため、恩義に報いることができず恥ずかしく思います。松陰先生が生きておられれば、と残念な思いです。

(坂本龍馬に託した書状)その後はいかがなせられます候や、こないだは山本、大石君ご来訪下せられ、何ら風景もこれ無く、お気の毒千萬存じ奉り候。最早、ご帰国ならんと御察しつかまつり候。この度、坂本君お出むきあらせられ、腹蔵無くご談合つかまつり候頃、くわしくはお聞取り願い奉り候。結局、諸侯たのむに足らず、公卿たのむに足らず、草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事と、私ども同志うち申し合いおり候事に御座候。失敬ながら、尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡しても大義なれば苦しからず。

小田村兄様の次男・久米次郎(くめじろう)を養子にもらいたいのです。皆さまへ相談してください。頼み入ります

六つとや、無理なことではないかいな、生きて死ぬるを嫌ふとは、これ、嫌ふとは。七つとや、なんでも死ぬる程なれば、たぶれ奴ばら打倒せ、これ、打倒せ。八つとや、八咫の烏も皇の、御軍の先をするじゃもの、なに、をとるべき。九つとや、今夜も今も知れぬ身ぞ、早く功をたてよかし、これ、おくれるな。十とや、遠つ神代の國ぶりに、取つて返せよ御楯武士、これ、御楯武士。

松陰先生および村田清風翁、月性上人の書をお送りくださり、ありがとうございました。
しかし、あっという間に友人たちに奪い取られてしまいましたので、また別にご不用の書がございましたら、引き続きお送りください。ちょっとした書き物でもみんな争って、珍しい物として大切にしまいこむような勢いです。

両藩共存し候とも、恐れ多くも皇統綿々、萬乗の君のご叡慮相貫き申さずしては、神州に衣食する甲斐はこれ無きかと、友人共申し居り候事に御座候。ついては坂本君に御申談つかまつり候事ども、あつく御熟考下さるべく候。もっとも沈察を尊ぶは申すまでもこれ無く候。樺山三円よりは此内書状来る、彼藩も大に振い申し候よし。友人を一両のうちにつかわすつもりに御座候。様子次第、尊藩へも差出し申すべくと存じ申し候。何も坂本様より御承知ならんと草々乱筆推読、これ祈り敬白。

(吉田松陰への最初の手紙)私は久坂誠です。今春に肥後で宮部鼎蔵と話し、益々貴兄を慕う思いが募っている。私は貴兄と面識ないが書簡にて私の思いを書きます。宮部は貴兄のことを、世を憂う天下の豪傑とのことだが貴兄も私を知らない。私は鈍才ながら日本に生れ、育った日本人としての自覚と矜持を持っている。現状の日本は太平に慣れ、綱紀は弛緩している。そこに西欧が傲岸不遜な態度で、通商を求めてきたが、内心は侵略したいようだ。幕府は要求を受け入れ、一方で兵備を厳しく鍛錬しなくてはならぬというが、堕落した武士ではこれを迎え討つ程の奮発は出来ないだろう。

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