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【久坂 玄瑞】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:平成の松下村塾

今回は有名な「久坂 玄瑞」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「久坂 玄瑞」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

久坂 玄瑞とは

久坂 玄瑞(くさか げんずい、1840年(天保11年)5月 - 1864年(元治元年)8月20日)は、幕末の長州藩士。幼名秀三郎、諱は通武(みちたけ)、通称は実甫、誠、義助(よしすけ)。妻は吉田松陰の妹・文(後の楫取美和子)。長州藩における尊王攘夷派の中心人物。栄典は贈正四位(1891年)。

参考:Wikipedia

久坂 玄瑞の名言集

(松陰に送った手紙の内容)弘安の役の時の如く外国の使者を斬るべし。そうすれば、必ず米国は来襲する。襲すれば、綱紀の緩んだ武士達も覚醒し、期せずして国防も厳重になるであろう

(ある友人に宛てた手紙)近頃僕は西洋のことを記した本を読んでいるが、彼らは城下はもちろん、村落に至るまで病院や救貧院を完備し、人心を籠絡しているという

米英仏が強いことは昔の朝鮮の如きとは比較にならない。米英仏の巨大な戦艦と大砲、鉄砲には我が国は太刀打ちできない。だからといって座して国が亡びるのを待つのは如何なものであろうか。まず守りを固めるべきである。

富士の御山は崩るとも、心岩金砕けやせぬ、これ、砕けやせぬ

あなたの不遜(ふそん)な言説では私は屈しない

攘夷にははじめから成算などない。ただ肝心なのは、国家の方針を定め、大義を打ち立てることだ

もしあなたがこのような罵詈、妄言、不遜をなす男ならば、先に宮部殿があなたを称賛したのも、私があなたを豪傑だと思ったのも、誤りであったようだ。私は手紙に対して、憤激のあまり拳を手紙に撃ちつけてしまった。

(吉田松陰と杉文の兄・杉梅太郎宛ての手紙)長州藩を代表しているので、会合の酒代をつい支払してしまうので、金銭を送って欲しいと

外国人との交易はどちらを利しているのか

俺はもうすぐ京都へ行く。もう生きて帰らないつもりだから、一生食べるはずの雑煮を今日食べておくのさ

人心は現状を保つことに汲々としているが、武器はいつ備えるのか。士気はいつ高まるのか。危急存亡について誰が考えているのか

(江戸へ遊学に行く途中に松下村塾の師吉田松陰に送った書簡)この日の朝、阿月(柳井市)を出て遠崎(同)の妙円寺に「老師」月性を訪ねたところ、不在のためすぐ立ち去ったと伝える。また、「例の遠崎・柳井付近の喧嘩事」は静まり、傷死者はなく、「放火焼屋などの事もこれ無く、是は茅へ火を放つ位の事」

今の通商は亡国への道である。売るものがなく、買うばかりの一方的な貿易で年々多くの国幣を失っている。物価は高騰し、国民は塗炭の苦しみの中にある。貿易を盛んにする前に、国産の開発が大いになされなければならない

世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい

最終的には我が国は海外へ出ていかなければならないのはわかっている。先師(松陰)の考えもそうだった。だが、それが幕府を助け天朝を抑えることになってはならない。いずれは万里の外へ航海に乗り出す策を立てねばならないのは当然だ。しかし、今回対馬を占領されており、これだけの凌辱を受けながら、その罪も正さず、頭を垂れて尻尾を振って、航海に乗り出しても武威の高まることはないと思う。

花をみてさきにほふ花をみてだにしのぶかな雲ゐの風の今日はいかにと

先日、佐久間象山を訪ねたが、同じ航海説でも「力を計り勝ちを計る」という考えで、大人物かつ発想に秀でており、戦を恐れて航海を唱える者と同じ土俵で論ずるべきではない

けふもまたしられぬ露のいのちもて千とせも照らす月をみるかな

そのような無謀の挙をなすよりも、同志団結し藩を動かし、正々堂々たる攘夷を実行するべき

取り佩ける太刀の光はもののふの常に見れどもいやめづらしも

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