西暦1900年代の偉人

【柳 宗悦】の名言集|名言まとめドットコム

(朝鮮旅行から帰国後)古朝鮮の美術 で吾々の驚嘆と注意とに価するものを写真と共に雑誌で紹介したい

(一九二二年に朝鮮総督府が京城の光化門(王宮の正門)の取り壊しを決定した際)失われんとする一朝鮮建築のために

その地に生れ出たものは、その地に帰るのが自然で あらう

鋭敏な感情の所有者であるなら、どこに愛し得ない朝鮮の芸術があり人情があり得よう。

三島手が大部 分李朝のものだと云ふ事に就ては、浅川伯教君の論文を参照されん事を望む

それにまた私一個人にとってこの民藝の問題から、大きな視野が開けて来ました。ある人は民藝品の如きは、非常に限られた特殊な問題に過ぎぬと云うかもしれません。しかし、そうではないのです。思えば思うほどそれは単に工藝の一問題ではなく、その本質問題であることを解するに至ったのです。

支那の芸術は意志の芸術であり、日本のそれは情 趣の芸術であつた。然し此間に立つてひとりの悲哀の命数を負はねばならなかつたのは朝鮮 の芸術である

用いずば器は美しくならない。器は用いられて美しく、美しくあるが故には更にそれを用いる。人と器と、そこには主従の契りがある。器は仕えることによって美を増し、主は使うことにより愛を増すのである。

李朝建築の代表であり模範であり精神である

しかもそれは美の問題に終わるのではなく、直ちに生活や経済や社会や、ひいては道徳や宗教の諸問題にも連関してきます。私は一個の民器に文化の諸問題の明確な縮図を見たのです。

(景福宮の光化門について)東洋の純粋な建築

真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を越えねばなりません。そうしてそのものを直接に見ねばなりません。立場は一種の色眼鏡なのです。

(朝鮮伝統芸術研究における巧の協力と役割を評価して)彼がゐなかつたら朝鮮に対 する私の仕事は其半をも成し得なかつたであらう

(朝鮮支配を正当化する政治家や学者の論説を読み)ほとんどなんらの賢さも深みもなく、また温かみもないのを知って、余は朝鮮人のためにしばしば涙ぐんだ

この世にどんな美があろうとも、結局「正常の美」が最後の美であることを知らねばなりません

我々日本人が今朝鮮人の立場にいると仮定してみたい。おそらく義憤好きな我々日本人こそ最も多く暴動を企てる仲間であろう

無名の職人だからといって軽んじてはなりません。彼らは品物で勝負しているのであります。

刃の力は決して賢い力を生まぬ

過去のものといえども真に価値あるものは常に新しさを含んでいる。

国と国とを結び人と人とを近づけるのは科学ではなく芸術である。政治ではなく宗教である。智ではなく情である。ただひとり宗教的もしくは芸術的理解のみが人の心を内より味わい、そこに無限の愛を起こすのである

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