西暦1900年代の偉人

【柳 宗悦】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:柳宗悦と日本民藝館

今回は有名な「柳 宗悦」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「柳 宗悦」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

柳 宗悦とは

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される[1]。1916年(大正5年)、朝鮮を訪問した際に朝鮮文化に魅了された柳は、1919年(大正8年)3月1日に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と批判した[注 1]。当時、ほとんどの日本の文化人が朝鮮文化に興味を示さない中、朝鮮美術(とりわけ陶磁器など)に注目し、朝鮮の陶磁器や古美術を収集した。1920年6月、『改造』に「朝鮮の友に贈る書」を発表、総督政治の不正を詫びた。1924年(大正13年)、京城(現ソウル)に朝鮮民族美術館を設立した。

参考:Wikipedia

柳 宗悦の名言集

(工芸美、民藝美について)用と美が結ばれるものが工芸である

器には自然の加護がある。器の美は自然の美である

(三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し)反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である

二にあって一に達する道

(柳宗悦から鈴木大拙へ)先生は、絶えず希望を持ち計画を立て、いつも何か新しい仕事を企てられているが、九十歳の老齢で、この旺盛な意欲を持たれ前進して行かれるのは驚くほかはない。

工芸の美は健康の美である

私にさえ誠心があるならば、それは吾々の距離を近づけるにちがいない。もし近づき得ないなら、それは貴方がたの罪ではなく、なおも私の誠心が足りないからだ

(柳宗悦から鈴木大拙へ)恐らくこれがまた、先生をして長寿を保たせているその秘訣かと思われるが、嘗てブライスが私に言ったように全くirreplacable-man(かけがえのない人)という評が大いに当たっていよう。

拝む心を持つことに人間の真の幸福が宿ろう

朝鮮と日本との間に心からの友情が交される時

器に見られる美は無心の美である

かく朝鮮の器物を好きになったのは、私にとって種々生涯の方向を定める事にもなり、うたた感慨が深い

工芸の美は伝統の美である

光化門よ、光化門よ、お前の命がもう旦夕たんせきに迫ろうとしている。お前がかつてこの世にいたという記憶が、冷たい忘却の中に葬り去られようとしている。どうしたらいいのであるか。私は想い惑っている。(中略)だけれども誰もお前を救ける事は出来ないのだ。不幸にも救け得る人はお前の事を悲しんでいる人ではないのだ。

「白色」が永 遠に喪に服している

私は朝鮮の藝術ほど、愛の訪れを待つ藝術はないと思う。それは人情に憧れ、愛に活きたい心の藝術であった。

私が李朝の焼物に惹かれて買ひ求めた最初の品物は私が高等科在学の頃で(明治 四十四年頃)神田神保町のとある骨董店の前を通つた時、ふと見かけた染付牡丹紋の古壺で、 その時大枚三円を奮発して買入れたものである。もとより当時はそれが李朝のものだといふ ことをすら、何も知らなかつた

本当に自分で体験したことなのか、自分の言葉で語っているのか(ということを周囲に厳しく問い、知ったかぶりを大いに嫌った)

(「磁器に現はされた形状美(Shape)」を高く評価し)之は全く朝鮮の陶器から暗示を得た新しい驚愕だ

今日、日鮮の間にわだかまる不幸は、ただただ情けに欠け涙を持たない行いの結果ではあるまいか

次のページへ >

スポンサーリンク

-西暦1900年代の偉人

© 2022 名言まとめドットコム