西暦1900年代の偉人

【種田山頭火】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:コトバンク

今回は有名な「種田山頭火」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「種田山頭火」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

種田山頭火とは

種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い。佐波郡(現在の山口県防府市)の生まれ。「層雲」の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一(たねだ しょういち)。

参考:Wikipedia

種田山頭火の名言集

無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった

大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た

親は子の心を理解しない、子は親の心を理解しない。夫は妻を、妻は夫を理解しない。兄は弟を、弟は兄を、そして、姉は妹を、妹は姉を理解しない。理解していない親と子と夫と妻と兄弟と姉妹とが、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に睡っているのだ。

あるけばあるくほど日がしずむ

鉄鉢の中へも霰

天は最早吾を助けず人亦吾輩を憐れまず

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ。

まつすぐな道でさみしい

あるけばかつこういそげばかつこう

酔うてこほろぎと寝ていたよ

私の性情として憂鬱にならざるを得ない

この旅、果もない旅のつくつくぼうし

過去一切を清算しなければならなくなってゐる

どうしようもない私が歩いている

鈴をふりふりお四国の土になるべく

分け入つても分け入つても青い山

濁れる水の流れつつ澄む

「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。

霧島は霧にかくれて赤とんぼ

すべつてころんで山がひつそり

次のページへ >

スポンサーリンク

-西暦1900年代の偉人

© 2024 名言まとめドットコム