西暦1900年代の偉人

【犬養毅】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:国立国会図書館

今回は有名な「犬養毅」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「犬養毅」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

犬養毅とは

犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日〈安政2年4月20日〉- 1932年〈昭和7年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。

中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。

参考:Wikipedia

犬養毅の名言集

我國策の根幹たる滿洲に於て門戸開放は即ち此基礎の上に打立られて、門戸開放されて居る、斯う云ふものにしたいのである

唯々彼の増税。彼の主張して居る所の増税は、國民生活の實情に鑑みて、此増税計畫は止めてしまふ

今の若いもんをもう一度、呼んでこい。よく話して事情を聞かせる

此道念涵養と云ふ根本に突込むが爲には、どうしても小學教育、師範教育の改善に俟たなければならぬ

吾々は隣邦に對して領土的野心は少しも持って居ない、是は何處までも持っちや居ない、又吾々の望む所は何であるかと云へば、既存條約の尊重である、既得權益の擁護である、此以外には出ぬのである

貴賤尊卑という世間の待遇は、この山門をくぐればなくなって、すべての人が平等であった。

民政党の行動は統帥権の干犯である

國内政治の全般に關しては、吾々が在野時代に於て既に屡々宣明した政綱政策、此綱領なるものがある、此政綱政策の中に付て、時宣に應じて緩急を圖って、さうして著々之を行って行く、之を實際に示して行く、斯う云ふ順序になって居ります

すなわち記者諸君は公平なる地位にあって、各政党の正不正を裁く裁判官であると同時に、政党が正義に向かって進むことを躊躇する場合、これを鞭撻し激励する役目にあるものである。いかなる臆病太郎といえども「お前は強いぞ」と始終励まされると、卑怯な真似はようしないものである。

最近農工商各業を通じ疲弊困憊の極度に達し、幾多の失業者を簇出して居ることは深憂に堪へない、殊に東北地方の窮状は御承知の通り同情に堪へない、是等の事態は米穀、竝に蠶絲を始めとして一般物價が激落し、金融も亦極度に梗塞した結果斯様になったのでありますが、此恢復は最も急務と認めて居るのであります

現下の生活の不安が、直に延いて國民の思想を險惡にならしめる所以である

失敗もしたが成功もしたと言いたいが、 実は失敗だらけである。

私は戦地に行けば、罷り違えば死ななくてはならぬということは勿論承知して居ります

福澤先生の眼中には、すべてのものが平等である。

どこまでも、私は平和ということをもって進んでいきたい。

青年血気のときには、金も持ちたし、学者にもなりたし、政治家にもなりたし、と種々の事に意思が動く。これが万事失敗の本になる。

撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう

殊に政府は各地方長官に命じまして、是等將士の家族に十分に保護を加へろ、又遠隔地に在る者に後顧の憂なからしむる爲には、此家族に向って各地方に於て十分保護を加へろ、是が即ち國家即一家族、國家が一家族であると云ふ日本特有の美風、之を發揚すると云ふ為には、斯様な際に最も力を盡すべきものである、斯う云ふので地方官にも命じて居ります

此大目的の爲に酷寒の地に働いて居る所の我が軍隊の將士、之に對しては御互に最も深厚なる敬意を表しなければなりませぬ

政党には、党勢拡張、政権獲得などという一種の病気がつきまとう。そのために、あるいは種々の不正手段に出たり、あるいは敵に向かって進む勇気を失ったりすることがある。これを監視し激励するのが言論に従事する人々の責任でなければならぬ。

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