西暦1900年代の偉人

【板垣退助】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:近代日本人の肖像 - 国立国会図書館

今回は有名な「板垣退助」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「板垣退助」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

板垣退助とは

板垣 退助(いたがき たいすけ、天保8年4月17日(1837年5月21日) - 大正8年(1919年)7月16日)は、日本の武士(土佐藩士)、軍人、政治家。明治維新の元勲として知られる。従一位勲一等伯爵。自由民権運動の指導者。東アジアで初となる帝国議会を樹立し「憲政の父・国会を創った男」として知られる。

参考:Wikipedia

板垣退助の名言集

私の行動が国家の害と思ったら、もう一度刺してもかまわぬ

弱腰之幕府は、英仏蘭米の四カ国の連合艦隊に脅えて降参することはあれども、先陣を切って戦端を開くなどあり得ないだろう。

不肖、退助、推(お)されて一軍の將となり、當初、剣を仗(たづさへ)て諸君と共に故郷を出づるの時、生きて再び還る念慮は毫(すこし)も無かりし。

いや、天下の事を考えればこそ、あるいは斬ろうとする。あるいは共に協力しようとする。その肚があるのが真の男だ。中岡慎太郎は、男であろう

人は言う、死してのちやむと。しかしわたしは死んでもやめない。なんも功績のないわたしの墓は、茫々と伸びた秋草のなかに埋没させてもらいたい。自由を叫ぶ天下の志士が、わびしいわたしの墓標の前で慷慨(こうがい)の心をかきたててくれたら、わたしは満足だ

君達とは今まで友達であり、仲間であったが、今日から俺は大隊を指揮する司令官となった。軍規は厳しいから覚悟しておけ

豪放不埒、是れ龍馬の特質なり。到底吏人たるべからず

国体(天下)を改めるとき変事が生じることぐらいは覚悟すべきで、賊徒(註:吉田東洋)の首を斬って人々へ示す事により、かえって国が安定することもある

朝鮮に滞在する居留民を保護するのは、政府として当然の義務である

万民が上下のへだたりなく文句を言ったり、議論したりするぐらいがちょうど良い。私にも遠慮なく文句があれば申し出てください

君、嘗て予を裏切りて密告の事ありしも、それ皆、国の事を思ふて出でたる事なれば陳謝するに及ばず

広く会議を興し万機公論に決すべし

私が一君万民、四民平等を理想とするのは、これがわが国の建国時の体制であったからである。

前途なお遠し、喜ぶなかれ

このように個人の自由を阻害し、無理やり社会上における生活を平均化させるような社会主義は、自由党の唱える自由主義とは正反対であると私が説く理由である

予かつて土佐の城下(まちなか)より放逐されたる時、神田と云ふ郷(さと)に在りて民庶(みんしよ)に交り身を修めんこと有之(これあり)。君は如何(いか)にせむとすや

戦争の結果によって形成された社会秩序は、戦争によってで無ければこれを到底覆すことは出来ない

而(しこう)して苟(いやしく)も事の権利自由の伸縮に関することあるに遇(あ)う毎(ごと)には、亦(ま)た死を以て之(これ)を守り、之を張ることを勉めんのみ。

ゆえに社会主義の性質の中には「平等主義」と「共産主義」を包含している。けれどもこの「生活上の平等主義」の目指す社会は「個人性」の消滅であり、本来人間が備えている智愚、強弱、勇怯、勤惰などの違いを除去した「絶対無差別主義」であり、切磋琢磨して個性を磨き才能を発揮する競争原理を必要としないため「絶対無競爭主義」となり、また私有財産を認めず、経済の基礎を社会に置き、唯一「労働」を条件として、社会全体の生活を平等均一にさせようとしている。

土佐勤王党の首領である武市から犯人の名を明らかにさせ、他はあまり深く究明しないつもりである

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