西暦1900年代の偉人

【ハンス・カロッサ】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:STart creation

今回は有名な「ハンス・カロッサ」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「ハンス・カロッサ」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

ハンス・カロッサとは

ハンス・カロッサ(Hans Carossa,(1878年12月15日 - 1956年9月12日))はドイツの開業医、小説家、詩人。謙虚でカトリック的な作風であった。

1931年、チューリッヒでゴットフリート・ケラー賞を、1938年にフランクフルト・アム・マインのゲーテ賞を受賞した。

ヒトラーの時代、派手なナチス批判はせず、要人と会うこともしたが、末期にパッサウの防衛放棄を訴えて睨まれ、侵攻してきたアメリカ軍に危うく救われる、という一幕もあった。

参考:Wikipedia

ハンス・カロッサの名言集

官房長官は、本当に疲労している様に見えたので私は彼と彼の仲間に同情を感じはじめた。畢竟するところ彼等も皆同じ軍船に奴隷として鎖につながれている訳なのだ

彼の暴威がなければ、おそらくいまだにイスラエル国家は存在していないだろう

彼(ヒトラ-のこと)は、旧教新教を問わず一掃しようと思っていたが、その迫害のゆえに、新旧両派は純化と自省、それどころか相互理解の道を開くことが出来た。

そこで私は彼よりもはるかに有力な人の意志(ゲッベルス-三石)が彼の口をかりて述べられていることがわかった。

しかし、作家たちは圧迫され佯られた生活の雰囲気の中でどうして花を咲かせたらよかったのか? それなくしては真の才能こそまさに発揮され得ない、あの自尊の意識の残りをせめて心の中に維持していくにはどうしたらよかったろう?

人生の行路をかなり遠くまで辿ってくると、以前は偶然の道連れに過ぎぬと考えていた多くの人が、ふと気がつくと、実は誠実な友だったことがわかる。

人との付き合いははかないものだ。

とりわけ私にとって大切なことは、戦地での人間関係の背景を描き出し、戦争というものを新しい光の中に浮かび上がらせることです。それが出来るのは私のように敵兵を殺す必要のない、戦場で唯一中立の立場をとれる医者だけになしうることです。

戦争の目的意識を持った兵士の中にあってただ一人その意識を欠き,戦での功名心を持った者たちの中で,全く功名心のない者として生きることは奇妙な感じがする

私の戦争日記は,たんなる思い出を書くのではなく,精神的発展(成長)を描こうとするものです。

アウクスブルクの聖霊降臨祭以来私を苦しめてきた恋の情熱と比べれば,この戦場でのひもじさと苦労はさして身にこたえない。

愛は永遠を求めます。

私に白状させようとこんなに苦心している人を、拒絶によって繰り返し傷つけることは、不当で、人情知らずと思われた。そして、思いがけぬ満足を与えてやろうという衝動が、押さえがたくなった

手短に言うと、わたしとわたしの作品だけでなく、それでなくても厳しい反感をもたれているゲーテ協会のためにも犠牲を払ってほしい、というわけなのだ。そのことで、わたしは、今日のような事情におかれている知的な人々のために、奉仕をすることになるだろうと。

私に死の恐怖はありません。すでになんども深く死を味わったからです。

もしも世界からかくも遠く離れて、こんなに重苦しい日々に何の妨げもなく話すことができるのなら、それはとても幸運なことだ。

結局われわれはみな多かれ少なかれ蛍に似ているのかもしれない。手にとると黒い昆虫にすぎなくとも,飛んでいるとすばらしい光を放つ蛍のように

すばらしい本だが、ただ読んでいると改めて根本的に納得せざるをえないのは、世界史とはそもそも暴力行為の連鎖によってのみ成立しているということだ。

もちろん私の意図は,戦場でのたくさんの事実を集めたり,戦争の残酷さを描いたり,その上戦争を告発することではありません。詩人の務めは,生々しい激動の世界で,魂がその生まれながらの品位と視線と方向性を保ち続けていくことがどこまで出来るかを描くことにあると思うのです。それに成功するかはわかりませんが,試みる価値はあるでしょう。

われわれは眠っている時いつでも出撃できる態勢でいなければならない。それは実につらいことだ。兵士は水の入った長靴を脱ぐことができないからだ

次のページへ >

スポンサーリンク

-西暦1900年代の偉人

© 2024 名言まとめドットコム