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【岡倉 天心】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Jack|note

今回は有名な「岡倉 天心」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「岡倉 天心」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

岡倉 天心とは

岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。

近代日本における美術史学研究の開拓者で、英文による著作での美術史家、美術評論家としての活動、美術家の養成、ボストン美術館中国・日本美術部長といった多岐に亘る啓蒙活動を行い、明治以降における日本美術概念の成立に寄与した。

「天心」は岡倉が詩作などの際に用いた号であるが、生前には「岡倉天心」と呼ばれることはほとんどなく、本人はアメリカでも本名の岡倉覚三 (Okakura Kakuzo) で通していた。

参考:Wikipedia

岡倉 天心の名言集

同時代の芸術こそは、真に私たちの芸術なのであり、私たち自身の反映なのだ。それを断罪することは、私たち自身を断罪することにほかならない

伝統や定式につき従っているだけでは、建築における個人性の表現に足かせをはめてしまうことになる。ギリシャ人が偉大であったのは、けっして昔に頼ろうとしなかったからだと言われているではないか

物事のバランスを保ち、自分の位置は確保しながら他人にも譲るというのがこの世のドラマを成功させる秘訣なのだ。

いくつもの音楽を同時に聞くことができないように、美というものは、なんらかの中心となる要素に集中して初めて本当に理解することができるのだ。

どんな木も、もともとその種に含まれた力以上に大きくなることはできない。

日本がこの平和でおだやかな、日本は文明国になったというのである。近年、侍の掟―日本の武士が進んで自分の命を捧げる「死の術」―については盛んに論じられるようになってきたが、「生の術」を説く茶道についてはほとんど注意が払われていない。無理解もはなはだしいが、やむをえない。戦争という恐ろしい栄光によらねば文明国と認められないというのであれば、甘んじて野蛮国にとどまることにしよう。

内からの勝利か、さもなくば外からの圧倒的な死か。

奉仕は愛情の最高表現であり、愛は受けるよりも与えることを喜ぶ。

どの時代をとってみても、芸術が最終的に完成した型としてあらわれるというようなことはない。芸術とは絶えざる成長

洋の東西を問わず、巨匠たちは、観客を自分の秘密にひきずりこむ手段として暗示の価値を忘れることはなかった

歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。

古いものが解体されて初めて、再創造は可能となる。

原始時代の人は、その恋人に花輪を捧げることによって、初めて獣性を脱したのである。

日々の暮らしぶり、そのなにげない仕草のうちに、内心の動きはあらわれる。

茶道の本質は、不完全ということの崇拝――物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある

偉大な思想で簡単に説くことのできるものなどありはしない

教育とは、強固な幻想を維持するために一種の無知を奨励するものにほかならない

アジアは一つである。

現代の芸術家は、技術に溺れるあまり、滅多に自身を超えるということがない

芸術が個人の心の表現でなければ、それは無である。

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