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【高村 光太郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:好書好日

今回は有名な「高村 光太郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「高村 光太郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

高村 光太郎とは

高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。

日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もあり能書家としても知られる。弟は鋳金家の高村豊周であり甥は写真家の高村規である。父である高村光雲などの作品鑑定も多くしている。著名な芸術家・詩人であるとともに、美や技巧を求める以上に人間の「道」を最期まで探求した人格として、高村を支持する人は多い。

参考:Wikipedia

高村 光太郎の名言集

貴様一人や二人の生活には有り余る命の糧が地面から湧いて出る 透きとほつた空気の味を食べてみろ そして静かに人間の生活といふものを考へろ

しかし四方は気味の悪いほど静かだ 恐ろしい世界の果てへ行ってしまうのかと思うときもある 寂しさはつんぼのように苦しいものだ 僕はその時また父にいのる 父はその風景の間にわずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる。

重いものをみんなすてると、風のように歩けそうです。

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

一生を棒にふって人生に関与せよ

僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる。

いくら非日本的でも、日本人が作れば日本的でないわけには行かないのである。

新郎と新婦と手をとりて立てり汝等は愛に燃え、情欲に燃え絶大の自然と共に猛進せよ

時々 内心 おどろくほど あなたは だんだん きれいになる

悪魔に盗まれそうなこの幸福を 明日の朝まで何処へ埋めて置こう

そしてその気魄(きはく)が宇宙に充ちみちた 驚いている僕の魂はいきなり「歩け」という声につらぬかれた。

牛はのろのろと歩くどこまでも歩く。自然に身を任して遅れても、先になっても自分の道を自分で行く。

女が付属品を棄てるとどうしてこんなにも美しくなるのだろうか

智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ

進歩は実に遅く不確かなものです。やがて出しぬけにそれがひらかれます。人は前に出ます。けれども暗中模索の幾年かあとの事です。

愛する心のはちきれた時 あなたは私に会ひに来る

いったん此世にあらわれた以上、美は決して滅びない

何という曲がりくねり迷いまよった道だろう 自堕落(じだらく)に消え滅びかけたあの道 絶望に閉じ込められたあの道 幼い苦悩にもみつぶされたあの道。

私は老人の首すじのシワを見るときほど深い人情に動かされることはない。なんという人間の弱さ、寂しさを語るものかと思う。

僕にとつてあなたは新奇の無尽蔵だ

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