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【安岡 正篤】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:名言格言.NET

今回は有名な「安岡 正篤」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「安岡 正篤」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

安岡 正篤とは

安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日 - 1983年(昭和58年)12月13日)は、陽明学者・哲学者・思想家。

安岡は、戊辰戦争の際、近藤勇を捕縛し斬首した功名で知られる土佐藩士安岡良亮の孫にあたる。1922年(大正11年)に東京帝国大学の卒業記念として執筆し出版された『王陽明研究』が反響を呼ぶ。安岡には財界にも多くの心酔者がおり、三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など多くの財界人をも指南していたとされる。戦後にあっては、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、「実践的人物学」、「活きた人間学」を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。戦後の歴代総理に「日本の黒幕はだれか?」と聞けばほとんどの首相が安岡正篤の名前を挙げたという。数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから「昭和最大の黒幕」と評される。

参考:Wikipedia

安岡 正篤の名言集

我々の生活が自堕落になったとき、心から馬鹿と叱ってくれる畏敬する人を持つ者は幸いだ。

人間は自得から出発しなければならない。人間はいろんなものを失うが、何が一番失いやすいかといいますと、自己である。人間はまず自己を得なければいけない。人間はまず根本的に自己を徹見する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、基本問題である

暗黒を嘆くより、一燈を点けましょう

いい年になったら早く後継者にその地位・財産を譲って、真実の生活に入るべきものである。

不老長生とはいたずらに年をとることではない。いつまでも生きる限り、ぼけないで、人生に興味を持ち、情熱を抱き続けて勉強することである

人を見る時は肩書きや経歴を全部取り払って、その人自身がどういう人間なのかを見ないといけない

自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる。

活力・気迫がなければ、善も悪も、是も非もない

一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになる。別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。そういう生き方を考えなければならない

西洋でも東洋でもそうだが、有為有能な人に共通しておることは、惰眠をせぬことである。

英仏の古諺にいわく、「朝こそすべて」と。一日24時間、朝があり昼があり夜があるとするのは死んだ機械の一日にすぎない。活きた時間は朝だけ、換言すれば、本当の朝を持たなければ一日無意義だということだ。朝を活かすことから人生は始まる

本当のいい酒とはよき仲間と人生や世界を語りながら、飲む酒です

人生航路において辱めを受けたり、運命に恵まれなかったり、因果に支配されても、すべて天命と受け止めよ。

言葉は言う人によって、みな意味が違ってくる。文字や言葉だけで、それがみな同じだと思ったら大間違いである

父は子供の尊敬の的でありたい。母は子供の慈愛の座でありたい

偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。

太い筆で細かい字を書く。これが人生を渡る秘訣だ

たえず熱中する問題を持つこと、すなわち感激の対象を持つことだ。人生は退屈することが一番いけない。たえず問題を持つ者が、精神的に勝利を占める。

古い友人を持っておる者ほど本物だが、たえず新しい友人を漁って歩く者は、それが順境にある者ほど偽者だ。

愚直で、少々頭も悪く、小才も利かぬ、そんな人間の方が、根が真面目なだけに、修養努力して大人物になることが多い

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