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【角田 光代】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:新潮社

今回は有名な「角田 光代」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「角田 光代」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

角田 光代とは

1967年3月8日に神奈川県横浜市で生まれる。日本の小説家、児童文学作家、翻訳家。代表作は『キッドナップ・ツアー』(1998年)、『対岸の彼女』(2004年)、『八日目の蝉』(2007年)、『紙の月』(2012年)、『私のなかの彼女』(2013年)。
捜真小学校から捜真女学校中学部・高等学部を経て早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。大学では学生劇団「てあとろ50'」に所属。大学在学中の1988年、彩河杏名義で書いた「お子様ランチ・ロックソース」で上期コバルト・ノベル大賞受賞。大学を卒業して1年後の1990年、「幸福な遊戯」で第9回海燕新人文学賞を受賞し、角田光代としてデビュー。2005年、『対岸の彼女』で第132回直木三十五賞受賞。『キッドナップ・ツアー』など児童文学も手がけている。
作家になるのを志したのは小学校1年生の時であった。他に特になりたい職業はなかったという。

参考:Wikipedia

角田 光代の名言集

何かをやりたいと願い、それが実現するときというのは、不思議なくらい他人が気にならない。意識のなかから他人という概念がそっくりそのまま抜け落ちて、あとはもう、自分しかいない。自分が何をやりたいかしかない。

交わした言葉が、笑い合ったささやかなことが、言い合いしたつまらないことが、相手のことを考えた時間が、ともに目にした光景が、すべてゆっくりと消化され、わたしの栄養になりエネルギーになった。それは失われたのではなく、今もわたしの内にある。あり続ける。

今日、こわがらずに家を出ていけるのは、迷子にならない保証や困った事態にならない確信があるからじゃない。何かすてきなことや人にきっと会える。困ったときにきっとだれか助けてくれる。そう思うことができるから、なんとか今日も明日も、出かけていけるんじゃないか。大げさにいえば、生きていかれるんじゃないか。

(おかあさんになって)よかったか、よくないかなんて思ったことないわ。だって私、なんだか生まれたときからあんたのおかあさんだったような気がするんだもの。おかあさんじゃない自分なんて今さら想像できない。

立場が違うということは、時に女同士を決裂させる。女の人を区別するのは、女の人だ。

前はむしろ、(読者が)引っかかるように書いていた。でも引っかかるところをそぎ落とした方が文章は早く伝わるな、と。物語の輪郭がはっきりしている場合は早く伝えた方がいい、立ち止まらせてはいけない、とわかったので、そこからは、基本的に短く簡潔な文章を心がけています。

大事なことは自分にとってのいい仕事とは何かをはっきりさせることです。お金なのか、得意分野なのか、チャレンジができることなのか。ここがぼんやりしていると、堂々巡りの迷路に入り込みかねない。

仕事を選ぶヒントをひとつ挙げるとすれば、何時間やっていてもまったく苦にならないもの。

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。

自分が悪くないときは謝らなくてもいいんだよ。

動揺とみっともなさはセット商品のようなものなのだから、致し方なし。

本はともに旅する友人でもある。

モロッコは生きる力が隅々までみなぎった場所である。旅行者にも、惜しげもなくそれを分けてくれる、寛大な場所である。

偶然の力というものを私は信じている。そこに意味をつけることはしない。それはきっと、神さまの茶目っ気みたいなものなんじゃないかと思っている。

文字を持たなかったマオリ族は、文字よりもっとゆたかなものを残している。

ニュージーランドは、旅する人にとって、その歴史やかなしみや、伝統や個性の、とても見えにくい場所だと思う。(中略)けれど旅の途中で目を凝らしてみれば、この場所が決して失わず、奥ゆかしくも持ち続けているものが、徐々に、しかしくっきりと見えはじめてくるに違いない。

恐怖心を持つのは大切なことなんですよ。恐怖心があればあるだけ、慎重になりますから。

若さと新しさがイコールではないように、年齢を重ねても人は大人にならない。

今回の登山、梅雨時期だったのがいけなかったのか、それとも、私がなめていたのか、ちっともたのしくなかった。ひたすらつらかった。苦行とか修行といった言葉しか思い浮かばない。でも、このつらさも含んで、山のたのしさなのだろうか。もう一度、べつの山に登ってそのところを知りたい。もう登りたくない気もするが、でも、私の知りたいことは、登らなくてはわからない。

さほど怒っていなくても怒りを伝えたいときは、大げさに怒ってみせるとより伝わる。ということは、反対に、100怒っているときは20くらいの怒りを伝えたほうが、きっとより伝わるのではないか。つまるところ、人に伝えたい怒りには、技が必要なのである。おそらく、相手の怒りの度合いを判断するにも、やはり技が必要だ。

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