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【中村 勘九郎 】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:株式会社ファーンウッド

今回は有名な「 中村 勘九郎 」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「 中村 勘九郎 」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

中村 勘九郎とは

本名 波野 雅行(なみの まさゆき)国籍 日本 東京都出身 生年月日 1981年10月31日

六代目 中村 勘九郎(なかむら かんくろう)歌舞伎役者、俳優。屋号は中村屋。定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。歌舞伎名跡「中村勘九郎」の当代。

父は十八代目中村勘三郎、弟は二代目中村七之助。父方の祖父は十七代目中村勘三郎で、母方の祖父は七代目中村芝翫。

父方の伯母は女優の波乃久里子。六代目尾上菊五郎は父方の母方の曽祖父で、大伯父(大叔父)は七代目尾上梅幸、二代目尾上九朗右衛門、二代目大川橋蔵。寺島しのぶと五代目尾上菊之助と二代目尾上右近は再従兄弟にあたる(祖父母同士が兄弟)。九代目中村福助と八代目中村芝翫は母方の叔父にあたる。

1986年1月、歌舞伎座『盛綱陣屋』の小三郎役として初お目見得。

翌1987年1月、歌舞伎座『門出二人桃太郎』の兄の桃太郎役として二代目中村勘太郎襲名初舞台。

2012年2月、新橋演舞場で六代目中村勘九郎を襲名。

青山学院初等部・中等部卒業、高等部を中退し堀越高等学校に転校、卒業。東洋大学中退。

視力が悪く、舞台以外では眼鏡をかけることもある。 妻・前田愛とは、ドラマ『光の帝国』での共演をきっかけに交際を通じて、結婚した。

参考:Wikipedia

中村 勘九郎の名言集

僕はただ、面白い芝居をやりたいだけなんです。終わった後に席から立ちたくなくなるような感覚をお客さんに与えたい。

「セリフの意味がよくわからないのに、なんでこんなに涙が出てくるんだ」とか、そういうお客さんの顔を見たい。

歌舞伎がトレンドを生み出していくには、「国に守られる文化」という考えを排除しなければダメなんです。

父も「国から守られるようになってしまったらアウトだ」と常に言ってました。

わざわざ劇場に足を運んで、それがもしかしたらその人の記念日かもしれない。 一人一人の気持ちを大切にやらなければ伝わらない。

端に言えば頑張らなくてもそれなりの上演ができてしまうんです。だけど、僕ももっと歌舞伎の世界で攻めていかなきゃいけない。

歌舞伎はもっと面白いものになるはずなのに、戦後に伝統と呼ばれ始めて高尚なものになり、あぐらをかいている状態なんです。

見ただけでは細かいところは絶対にわからないですし、何を考えてそうなさっているのか、うかがうことが必要です。教えていただくことで演技と同時に心を受け継ぐ。

この時代、お客様が入っていただくにはどうしたらいいかというと、本当に面白いものを やらなければいけない。

人と人との出会いとか作品との出会いがすごく大きくしてくれる。

“どうしよう” “大丈夫かな”という悪い緊張は稽古をしていない証拠。いい緊張のほうを常にしていなさい

このままだったら歌舞伎に未来はないと思っています

ただ、面白い芝居をやりたいだけ

体内から醸し出す空気というか…これが歌舞伎の面白さなんだなと

偉大すぎる父を持って大変なことはないかと言われることもあるけど、ないよね

子どもの頃から、親の芝居を観ていると舞台上ですごく輝いているんです

役との出会いを大切にしていきたい

格闘技を観るのは好き

死ぬまで勉強

演じる前は、自分に合わないと思った役でも、勤めてみて世界が開けることもあります

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