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【大塩平八郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Japaaan

今回は有名な「大塩平八郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「大塩平八郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

大塩平八郎とは

大塩 平八郎(おおしお へいはちろう)は、江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした。
通称は平八郎、諱は正高、のち後素こうそ。字は子起。号は中斎。家紋は揚羽。大塩家は今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務めており、平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたる。大坂天満に生まれた。かつては平八郎が養子で阿波国の生まれとする説も存在したが、乱に関する幕府評定所の吟味書の記述などから、養子である可能性は否定されている。

参考:Wikipedia

大塩平八郎の名言集

(豪商・鴻池幸実に対して)貧困に苦しむ者たちに米を買い与えるため、自分と門人の禄米を担保に1万両を貸してほしい

(論旨が時弊の核心に触れると)かようなことでは国が亡び申すぞ

(当家の女中が帰郷した折)五郎兵衛夫妻が神棚へのお供えとして2名分の食事を用意するが、全て食べられた状態で下げられるのは不思議だ

ことは危急に迫っている、今日救いの手を下さなければ今日餓死する人間が群れているのに、関東へ伺いをたてるなどとは迂遠極まる話だ、よろしく尊公の裁量をもって救民の法を断行されたい」
「しかし、たんに奉行職として専断にことを行うわけには参らぬ

友人になりたいと思った相手に対して、なんらかの邪心を抱いているならば、親しくすべきではない

そもそも奉行職はいかなるが本務であるか、国を治め民を安んずること能《あた》わずば、冠せる沐猴《もっこう》に過ぎぬではないか、巷《ちまた》に斃死する餓死者を見られい、街《ちまた》にどよむ窮民の叫びを聞かれい、尊公もし今にしてなすところ無くんば、大事は大坂城下より発するであろう

君に祈る。刀を善(ぬぐ)い、時に之を蔵せよ

おそらく尊公は専断の罪に問われるのを惧《おそ》れるのであろうが、身を殺して仁をなすということもある、ぜひとも断行していただきたい

豪商たちは売り惜しみをして値をつり上げている。人々に米を分け与えるよう、奉行所から命令を出してはどうか

書籍のみではない、売れる物は家具什器ことごとく売却する所存だ、この危急存亡の期《とき》に当って万巻の書が何になる

田畑を持たない者、持っていても父母妻子の養えない者には、市中の金持ちの商人が隠した金銀や米を分け与えよう。飢饉の惨状に対し大阪町奉行は何の対策を講じぬばかりか、4月の新将軍就任の儀式に備えて江戸への廻米を優先させ一身の利益だけを考えている。

しかし駄目だ、上には一人として、人間がいない、みんな眠れる豚だ。城中に千万の黄金を擁し、御蔵に万石の米を死蔵しながら、一指も救恤のために動かそうとせぬ、――大塩家の微財をもってどれほどの人が救えるか、そちの言に俟《ま》たずともよく知っている、しかし万民を救うことができないとしたら一隣人だけでも救わねばならぬ、そのうえで父にはさらに思案があるのだ

市中の豪商たちは餓死者が出ているのに豪奢な遊楽に日を送り、米を買い占め米価の吊り上げを謀っている。今こそ無能な役人と悪徳商人への天誅を為す時であり、この蜂起は貧民に金・米を配分するための義挙である

天満橋、天神橋のあたりに火事が起ったら、志のある者はすぐ集って来るよう

世の中を海とするならば、身体は船、心は舵である

口先だけで善を説くことなく善を実践を実践しなければならないのだ(著作の最後をこう締めくくり、門弟と共に富士山に登り同本を山頂に納めた)

自分自身の本性をあざむいて勝手に自己満足していても、いずれ人様に見抜かれてしまう。正義と私利、誠と偽りの境目をごまかしてすごしてはならない

(蜂起後に江戸へ届くはずの文面)公然と賄賂をとる政治が横行していることは、世間の誰もが知っているのに、老中様たちはそれを存知ながら意見すらおっしゃいません。その結果 、天下に害が及ぶことになったのです

四海困窮せば天禄永く絶えん、小人に国家を治めしめば災害並び到る

天満に上がった火の手が決起の合図

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