西暦1900年代の偉人

【魯迅】の名言集|名言まとめドットコム

「父母の命、媒酌の言」による旧式結婚…のもとでは、男は永遠かつ終身の生きた財産を獲得する。彼女には値段を交渉する自由もない。

時間はスポンジの水の様で、握ってみればあるものだ。

女の天性には母性と娘性があって、妻性はない。妻性は無理に作られたもので、母性と娘性との混合でしかない。

むかし景気のよかったものは復古を主張し、いま景気のよいものは現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは革新を主張する。

むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。

自分で盗賊だと名乗るものは用心する必要がない。裏をかえせば善人だから。自分で正人君子だと名乗るものは用心しなければならぬ。裏をかえせば盗賊だから。

平和というものは人間の世界には存在しない。しいて平和と呼ばれているのは戦争の終わった直後、またはまだ戦争の始まらない時をいうにすぎない。

専制者の反面は奴隷である。権力を握っているときは好き勝手なことをするが、勢いを失うと、たちまち百パーセントの奴隷根性を発揮する。

戦場に出るなら軍医になるがいい。革命運動をやるなら後方勤務がいい。人を殺すなら首斬り役人になるがいい。英雄であって、しかも安全だ。

他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。

学ぶには、目、口、心、手、脳を使う必要がある。

ジョン・ミルは言った。「専制は人々を冷笑者にする」と。だが、共和制は人々を沈黙者にすることを彼は知らなかった。

思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。

隠居することも飯を食う道だ。仮に飯を食うことができなければ、<隠れ>ようにも隠れきれるものではない。

思い出というものは、人を楽しませるものではあるが、時には人を寂しがらせないでもない。精神の糸に、過ぎ去った寂莫の時をつないでおいたとて、何になろう。

暴君の臣民は、ただ暴政が他人の頭上で暴れるのを望む。そして自分自身はそれを眺めて面白がり、「残酪」を愉しみ、「他人の苦しみ」を見せ物とし、慰めとする。

人類というのは寂しいものではない。楽天的なものだ。生命は進化するのだから。

皇帝と大臣は「愚民政策」をとるし、人民にもまた「愚君政策」がある。

生活がまず一番だ。人は生活しなければならない。愛情はそれにつれて生まれてくるものだ。

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