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【小津安二郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Cinema Classics

今回は有名な「小津安二郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「小津安二郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

小津安二郎とは

小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は、日本の映画監督、脚本家である。日本映画を代表する監督のひとりであり、サイレント映画時代から戦後までの約35年にわたるキャリアの中で、原節子主演の『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)など54本の作品を監督した。ロー・ポジションによる撮影や厳密な構図などが特徴的な「小津調」と呼ばれる独特の映像世界で、親子関係や家族の解体をテーマとする作品を撮り続けたことで知られ、黒澤明や溝口健二と並んで国際的に高く評価されている。1962年には映画人初の日本芸術院会員に選出された。

参考:Wikipedia

小津安二郎の名言集

どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う

しかし、世の中なんて、みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな。案外、簡単になるもんさ。

男女の仲というのは、夕食を二人っきりで三度して、それでどうにかならなかったときは諦めろ。

構図の端正、厳格な点と美しい色の世界にひかれる

映画というのは、実は力のある脇役が主役なんだよ。

僕の作品に表情はいらない。能面でいってくれ

昔っから一姫二太郎って云うね。ありゃァつまり何かな 新婚当時は男の方が盛んだってわけかね

安物を粗末に使うな。良いものを大事に使え

第三渡場から渡河する。対岸のトーチカにハ未だ残敵がゐるらしく 盛に弾が来る。対岸に渡つて闇の中で壕を掘る。目の前にハ鉄条網があり、その向ふのトーチカにハ未だ敵がゐる。このまゝ夜が白めバ一気にトーチカに突き込まなけれバなるまいと思ふ。

全七巻のうち初めの一巻を除いて、あと終りまで一つのセットの中での芝居なんだよ。それで夜の目も寝ずにコンティニュイティを考えたよ、苦心した写真だった。その点でも随分ためになった作品だと思ってる

ぬくもりだの暖かさだの、そんなのは誤魔化しですよ。僕は、人生の本当の姿を描きたいんです

私は豆腐屋のような映画監督なのだから、トンカツを作れといわれても無理で、せいぜいガンモドキぐらいだよ。

嘖々たる俊才の、その映画から受ける感じとは甚だ違つてむさくるしいのに僕は驚いた

私は画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど汚いものを取り上げる必要のあることもあった。しかし、それと画面の清潔・不潔とは違うことである。映画ではそれが美しくとりあげられなくてはならない

昭和四、五年ごろ撮った『東京の合唱』(コーラス)で高嶺秀子を使ったことがありました。大変カンのいい子でよい俳優に成長しましたがこういう人はマレですからねぇ。子役もキチンと学校に通って良識を身につけなければいけません

社会性がないといけないと言う人がいる。人間を描けば社会が出てくるのに、テーマにも社会性を要求するのは性急すぎるんじゃないか。ぼくのテーマは『ものの哀れ』という極めて日本人的なもので、日本人を描いているからにはこれでいいと思う

家族制度の決壊と、いわゆる人情ばなしで、家族の中の人のエゴイズムを描いたものです

日本的なものが、大きなことを言えば一番世界的に通用するもんなんだよ

泥中の蓮・・・・・・この泥も現実だ、そして蓮もやはり現実なんです、そして泥は汚いけど蓮は美しい、だけどこの蓮もやはり泥中に在る・・・・・私はこの場合、泥土と蓮の根を描いて蓮を表す方法もあると思います、しかし、逆にいって蓮を描いて泥土と根を知らせる方法もあると思うんです

夕めし 原達と会食する とにかく書き始める 熱海の海岸のところから書きこのシーンを上げる

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