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【松平康隆】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:NHK人物録

今回は有名な「松平康隆」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「松平康隆」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

松平康隆とは

松平 康隆(まつだいら やすたか、1930年1月22日 - 2011年12月31日)は、日本のバレーボール全日本選手、バレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員。2008年3月から“心の東京革命”推進協議会(東京都青少年育成協会)会長を務めた。

松平は、チームが勝つだけでは自己満足で意味がないと考え共感を持ってくれる人を社会に増やすことにも重きを置き、PR活動にも尽力した。その行動から「スポーツ界のアイディアマン」とも呼ばれた。

参考:Wikipedia

松平康隆の名言集

・・・ということは、先に一度敵をジャンプさせればネット上には、誰もいない空間と時間が生まれる。その誰もいない間に、ボールを返せばいいんだ

常識の延長線上に世界一は絶対にない。非常識の延長線上にしか世界一はない

教わったことが全部出来たというだけでは大したことはありません。教わったものを土台にし、栄養にして、自分自身の独特な何かを生み出すことができてはじめて一人前になるんです

金メダルを取るために、犯罪以外は何でもやった

(20m疾走というトレーニングで)練習を見てると、最初の10mぐらいはバーッと走って、あとは流すのがほとんど。これは似て非なるものであって、20m疾走の効果が全然、出てこない。ところが、20mを最後まできちっと走り抜くと、1年間で全然違った体力になる

工場長、宣伝部長、営業部長を兼任した

私はオリンピックの舞台で銀メダルと銅メダルはとった。もう銀も銅もいらない。いまから十年前には世界のクズといわれた日本男子バレーの、今年は勝負の年だ。八月のミュンヘンオリンピックでは、金をどうしてもとりたい。しかし、勝つことも大切だが、その前にもうひとつ、勝利をわがことのように喜んでくれる人を一人でも多く持つことだ

ミュンヘンは私の人生のすべて

私のミュンヘン時代の部下は、選手、コーチ、トレーナーとも私の持っていない、尊敬できるものを持っていた。しかし、私はコンプレックスを感じたことは微塵もなかった。なぜなら、私は彼らの知らないことを知り、できないことをできるように努力したからである。この努力をしないで、「俺は監督だから」というところに拠り所を求めたら、すべてが終わりになる。

勝つことも大切だが、その前にもうひとつ、勝利をわがことのように喜んでくれる人を1人でも多く持つことだ

逆境になったら“しめた”と思え。天から与えられた環境をブレークしていけば人間何でもできる

日本女子の金メダル獲得が引き金となって、「ブロックの際、オーバーネットを認める」という画期的なルール改正がなされた・・この時点で、小さな男たちがいくらがんばっても、世界制覇への道は遠のき、不可能になったのだ

一言でいえば全員がどうしても勝ちたかったのです。それをすべての行動のエネルギーにしたチームが出来上がったのです。そして、急速に実力を伸ばす結果となってあらわれた

お前たちが酔っぱらっていったことを、俺は全部しっかり覚えているんだからな

すべては五輪で勝つためにやれ

ファンタスティックなバレー

今年は勝負の年だ

死ぬ寸前ぐらいまで練習はやらなきゃいけない

社長の立場に拠り所を求めたとき、社員は一様にそっぽを向き始めることになる。

吐いてもいいから、戻ってきてそのまま練習しろ

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