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【道場六三郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:道場六三郎

今回は有名な「道場六三郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「道場六三郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

道場六三郎とは

道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年1月3日 - )は、日本の和食料理人。石川県江沼郡山中町(現在の加賀市山中温泉地区)出身。身長168cm。1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、幼少時から料理に親しむ環境で育った。

日ごろから「食材に国境なし」と明言しており、和食料理人でありながらキャビアやフォアグラなどの西洋料理食材、皮蛋などの中華料理食材なども積極的に取り入れるなど、型にとらわれない自由な発想の料理を特徴とする。『料理の鉄人』では「日本料理界の異端児」とも称されたが、実際に伝統的料理界から異端扱いされていたこともあるという。

参考:Wikipedia

道場六三郎の名言集

臨時国会の時など、二五〇本くらいの氷を会議場の後に置いて、扇風機をかける、なんて今では考えられない苦労をしてたもんです

小さな店に経営者が二人いると、命令系統も二つになるから私の意志が従業員に行き渡らないんです。必ず店の内部が二つの意見に割れてしまう。これじゃあ料理長としても経営者としても困ると思い共同経営者に権利を譲り、それを元手に「ろくさん亭」を独立開店させることになるわけです。

たとえばゴルフをやるときに、雨が降ってきたとする。そのときに嫌だな、と思ったら、それは負けだ。雨が降ったら、その雨のゴルフをどう楽しむか、ということを考えることだ

この店(「常盤家」)は総理官邸とか衆議院の議院会館とか大きな施設の料理を幅広く担当していましてね、毎日とても忙しく厳しい仕事内容でしたね。出張料理なんかを覚えたのも、この時でした

細かい部分にまで意識が回り先の先を読むくらいに頭を働かせないと少しぐらい料理の腕があっても大成しない。

厨房で働いている若い人たちにも、『お客様への思いやりを大切にすること。それができなければ、包丁を持つ資格はない』と教えています

僕は何を言われても黙って手だけはすごいスピードで動かし続けました

料理は食べる人の立場になって作ります

人の二倍働く、人が三年かかって覚える仕事を一年で身につける

出張料理の時には天ぷらの設備、握りずし、おでんの設備と、すべてをセットにしなければなりません。それと氷。氷彫刻をやったのも、ここで働いてたからですね、何しろ冷房のない時代でしたから夏は氷彫刻、花氷などが不可欠なんです

つねに戦いに挑む気概を持つ

市場に行かなきゃ魚は見れない。一番腹が立つのは近ごろの若いやつは注文を電話でするんです。電話で魚は見えないだろうって

仕事にも人生にも締め切りがあります。それに間に合わせるためには時間を無駄にせず何事もテキパキとこなさないと。

よく、自分が以前に働いていた時の客をとっては悪いな、などと言う人がいますが、僕は商売とはそんなもんじゃない、と思っています。自分が生きるか死ぬか、という時にそんな「きれい事」を言ってたんじゃ、生きのびてはいけない

ものの一ヵ月もたたないうちに同輩とケンカしてしまいましてね、せっかく入った「新喜楽」を飛び出してしまうんです

あこがれていたのは魚屋。当時は魚屋が仕出しもやっていましたから、魚屋がハチマキをしめて自転車に料理を積んで走る姿が、子供ながらに〝いいなぁ、粋だな〟と思ってたんです。

高齢のために体力が衰えて鯛の頭を割れなくなった

自分が日本料理の世界にいるから言いにくいんだけど、でもあえて言うと、必ずしも先輩の仕事を受け継ぐことだけが大切じゃないと思っているんです

食は命を守る大切なもの

たとえどんな逆境にあっても、僕よりつらい男は世の中にたくさんいるんですね。そう思うと、むしろ〝逆境にある喜び〟みたいなものを感じるんですね

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